ホリールード寺院

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ホリールード寺院
[ホリールード寺院 (Holyrood Abbey)は、スコットランドエディンバラにかつてあったアウグスティヌス派寺院で、現在は廃墟となっている。寺院は、1128年にデイヴィッド1世/a>(在位:1124年 – 1153年)により建てられた。現在、寺院の廃墟の隣にはホリールード宮殿が建っている。“ルード”とは古い言葉で『十字架』の意味である。デイヴィッド1世が森で狩りの最中苦難に遭遇したとき、角の間に光り輝く十字架を持つ牡鹿から命を救われたため、その場所に教会を寄進したという伝説がある。15世紀から、多くの戴冠式と結婚式がこの寺院で執り行われた。多くの弾圧や略奪も受けた。ヘンリー8世(在位:1509年 – 1547年)とエドワード・シーモア(1506年 – 1552年)による『手荒な結婚申し入れ』(まだ幼いメアリー1世(在位:1553年 – 1558年)と、ヘンリー8世の嫡子エドワード(後のエドワード6世・在位:1547年 – 1553年)の結婚でスコットランド王位を手に入れようとした事件)の間、1544年にハートフォード伯により寺院は略奪の被害にあい、護国卿サマセット公は建物に損害を与えた。ジェームズ7世(イングランド王としてはジェームズ2世・在位:1685年 – 1688年)は、ホリールード宮殿にイエズス会派の大学を建て、1688年5月に寺院をローマ・カトリック教会の教会堂にさせた。プロテスタントの会衆らは自分たちの祈りの場として、新しいカノンゲイト教会を設立した。同じ年の11月、オラニエ公ヴィレム(ウィリアム3世として即位する・在位:1689年 – 1702年)による名誉革命が起き、それまでのカトリック優遇への反動からエディンバラ市民は教会や王室納骨堂の略奪に走った。寺院の屋根を含む復興活動が1758年になされたが、屋根は1768年の大暴風で被害を受け、現在まで廃墟のままになっている。
ホリールード寺院平面図

ホリールード寺院の廃墟・wikipedia-photo、宮殿に隣接した寺院の廃墟・wikipedia-photo  (wikipedia・ホリールード寺院より)]

Holyrood Abbey – Google Map 画像リンク

カメラ初期設定方向がホリールード寺院跡です。

カメラ位置はホリールード寺院跡内です。

ホリールード寺院跡北側のカメラです。

ホリールード寺院跡南側のカメラです。

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