マーカーはセント・ジェームズ宮殿です。
[Google アートプロジェクト] – 「セント・ジェームズ宮殿、クラレンス・ハウス」
セント・ジェームズ宮殿
[セント・ジェームズ宮殿 (St. James’s Palace)は、ロンドンにある最も古い宮殿の一つ。セント・ジェームズ公園のちょうど北側、ポール・マルにある。宮殿はヘンリー8世(在位:1509年 – 1547年)の命令で、聖ジェームズに捧げられたハンセン病患者用病院がかつてあった場所に建てられた。新宮殿は、ヘンリー8世がホワイトホール宮殿に次いで肩入れしたもので、4つの中庭を囲むテューダー様式の赤煉瓦で建設された。多角形の小塔の側に立つ門番小屋が、今も北側に残る。ホワイトホール宮殿が火事で使用できなくなった1698年から、ロンドンでのステュアート王家の第一の王宮となり、王朝の行政の中枢となった(この役割は今も残る)。メアリー1世(在位:1553年 – 1558年)はここで亡くなり、彼女の心臓と内臓は宮殿内の王室礼拝堂に埋葬された。エリザベス1世(在位:1558年 – 1603年)は、スペインのアルマダ艦隊(アルマダの海戦)がイギリス海峡を航行するのを待つ間、夜をこの宮殿で過ごしたと言われている。チャールズ1世(在位:1625 – 1649年)は、処刑前夜にここに泊まり、少なくともぐっすり眠った。オリヴァー・クロムウェルは宮殿を引き継ぐと、共和制の間兵舎として使用させた。ハノーヴァー朝の最初の3代の王たちは、他のヨーロッパ王家の都市宮殿の豪勢さとはほど遠いセント・ジェームズ宮殿を、ロンドンでの第一の王宮として使用していた。ジョージ3世(在位:1760年 – 1820年)は、王シャーロット・オブ・メクレンバーグ=ストレリッツを戻すためにバッキンガム・ハウス(バッキンガム宮殿の前身)を1762年に購入した。宮殿は、引き続いて19世紀前半まで重要な場所として使用されていた。次第に、限られた公式行事、歓迎式典、王家の結婚式、洗礼式などに使用されるだけになっていった。ヴィクトリア女王(在位:1837年 – 1901年)は、1837年に形式的に引っ越しをし、王家の住まいとしてのセント・ジェームズ宮殿の地位は役目を終えた。セント・ジェームズ宮殿は、現在も使用され、宮廷もこの場所を公的な基盤としている。外国からイギリスへ派遣された大使たちは、バッキンガム宮殿で女王から信任状を受けるというのに、未だ形式的には『セント・ジェームズの宮廷』に派遣されたことになっている。宮殿は、アン_(イギリス王女)とアレクサンドラ王女(ジョージ_(ケント公)の長女。エリザベス2世の従妹)のロンドンでの住居とされている。混合部分には、かつてチャールズ_(プリンス・オブ・ウェールズ)とウィリアム (ケンブリッジ公)王子、ヘンリー・オブ・ウェールズ王子が住んでいたヨーク・ハウス、イギリス政府が公式歓迎式典用に使用していたランカスター・ハウスがある。かつてエリザベス・バウエス=ライオン王太后が住み、現在はプリンス・オブ・ウェールズ邸であるクラレンス・ハウス宮殿が近くにある。
「ヘンリー8世時代から残る、ポール・マル側の宮殿メイン・エントランス」・wikipedia-photo、「ポール・マル側のメイン・エントランスに立つグレナディエ連隊の警備兵」・wikipedia-photo、「セント・ジェームズ宮殿とポール・マル。1715年のジャン・キップの絵より」・wikipedia-photo (wikipedia・セント・ジェームズ宮殿より)]
「セント・ジェームズ宮殿 – Google Map 画像リンク」
カメラ南東方向がセント・ジェームズ宮殿メイン・エントランスです。
カメラ位置はセント・ジェームズ宮殿東サイトです。
クラレンス・ハウス宮殿のストリートビューです。
カメラ初期設定方向手前左端、『ケンブリッジ公爵夫人の結婚式の公式集合写真(The Duke and Duchess of Cambridge wedding official group photograph)』(作成日:2011-04-29)