ウェヌスとローマ神殿

マーカーはウェヌスとローマ神殿です。

ウェヌスとローマ神殿(英語:Temple of Venus and Roma、イタリア語:Tempio di Venere e Roma)
[ウェヌスとローマ神殿(Templum Veneris et Romae)は古代ローマで既知の最大の神殿。フォロ・ロマーノの西端、コロッセオの近くにあり、女神ウェヌス・フェリクス(好意的なウェヌス)と女神ローマ(永遠なるローマ)を祭っている。ローマ皇帝ハドリアヌスが設計した。建設は121年に始まり、ハドリアヌスにより公式に公開されたのが135年、アントニヌス・ピウスにより最終的に完成したのが141年である。307年の火災で損傷したが、マクセンティウス帝が設計を変更して修復した。
ネロ帝のドムス・アウレアの遺構の上に建てられた神殿であり、ネロの巨像 (Colossus of Nero) は近くのアンフィテアトルムに移されて、そこが後にコロッセオと呼ばれるようになった。ハドリアヌスに仕えた最も優秀な建築家ダマスカスのアポロドーロスは、その神殿の内陣に安置された女神の座像の大きさについて、もし女神が立ち上がろうとしたら頭を天井にぶつけてしまうだろうと軽蔑的な意見を述べたと言われている。アポロドーロスはこの後間もなく追放され、処刑されたと言われている。その後テオドシウス1世の対立皇帝として帝位を僭称したエウゲニウス(在位392年 – 394年)は、キリスト教以前の宗教や神殿の保護政策の一環としてこの神殿を修理させている。9世紀初頭の大地震で、再びこの神殿が損傷を受けた。850年ごろ、教皇レオ4世がこの神殿の廃墟に新たな教会サンタ・マリア・ノヴァ教会の建設を命じた。この教会は1612年に大修復されサンタ・フランチェスカ・ロマーナ教会となった。このとき、かつての女神ローマの内陣が鐘楼として組み込まれた。何世紀もかけて、この神殿の周りを囲んでいた円柱は取り除かれていった。元々の位置に建っている円柱はごくわずかで、ほとんどは代わりにツゲの木が植えられた。
フォロ・ロマーノと周辺の広域平面図

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皇帝たちのフォルム
パラティウム
カピトリヌス
コロッセオ

01:マクセンティウスのバシリカ, 02:ウェヌスとローマ神殿, 03:ティトゥスの凱旋門, 04:ウェスタの巫女たちの家, 05:ロムルス神殿
ウェヌスとローマ神殿平面図

ウェヌスとローマ神殿東側側面図

コロッセオから見たウェヌスとローマ神殿・wikipedia-photo

ウェヌスとローマ神殿・wikipedia-photo

  (wikipedia・ウェヌスとローマ神殿より)]

ウェヌスとローマ神殿 – Google Map 画像リンク

カメラ西北西方向がウェヌスとローマ神殿です。また、カメラ西北西方向がティトゥスの凱旋門、カメラ南南東方向にコンスタンティヌスの凱旋門、カメラ東方向にコロッセウムがあります。

カメラ西南西方向がウェヌスとローマ神殿です。

カメラ西方向がウェヌスとローマ神殿・東向きのアプスです。

カメラ東北東方向がウェヌスとローマ神殿・西向きのアプスです。

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