マーカーはコロンナ宮(コロンナ美術館)です。
コロンナ宮(コロンナ美術館)
[コロンナ宮はローマに勢力を誇っていた皇帝派の貴族の名家コロンナ家の宮殿。コロンナ家が、主に17~20世紀に集められたメロッゾ・ダ・フォルリ、パオロ・ヴェロネーゼ、パルマ・イル・ヴェッキオ、ティントレット、グエルチーノの作品などイタリアおよび外国人絵画のコレクションを展示している。映画「ローマの休日」のラストシーンで,アン王女が記者会見に望んだのがここコロンナ宮の大広間です。 (「世界の建築様式 ~ 4.古代ローマ編」より)]
[ローマに勢力を誇っていた、皇帝派の貴族コロンナ家の宮殿。現在はコロンナ美術館として一部が公開されている。豪壮な装飾のなされた広間と、壁を埋めつくす色とりどりの絵画は圧巻。13世紀、古代ローマの神殿跡地に、枢機卿ジョヴァンニ・コロンナとジャコモ・コロンナによって建てられた。14世紀には、マルティヌス5世_(ローマ教皇)となる前の、枢機卿オッドーネ・コロンナの邸宅であった。マルティヌスの死後、コロンナ家は次代の教皇たちと対立、不安定な世情の中、宮殿はデッラ・ローヴェレ家に奪われる。が、ユリウス2世_(ローマ教皇)(ジュリアーノ・デッラ・ローヴェレ)の姪、ルクレツィア・ガラ・デッラ・ローヴェレとマルカントーニオ1世・コロンナの結婚により、再びコロンナ家の所有となった。コロンナ家はハプスブルク家と同盟しており、1527年ローマ略奪の際、宮殿は略奪を免れた。この時、ローマを訪れていたマントヴァ侯妃イザベラ・デステは、ここに滞在している。16世紀末から17世紀初頭にかけて、フィリッポ・コロンナが、多くの部分に分かれていた宮殿の結合と改築に着手。17~18世紀にはファサードが完成、同時に現在公開されている壮大なギャラリーも完成した。所蔵作品は、主に17世紀の枢機卿ジローラモ・コロンナと彼の甥ロレンツォ・オノフーリオの蒐集したもの。ティントレット、アンニーバレ・カラッチなどが有名。映画「ローマの休日」のラストシーンである、アン王女の記者会見の行われたところとしても有名。入口はヴェネツィア広場から11月4日通り(Via ⅳ Novembre)に入り、ピロッタ通り(Via Pilotta)に折れたすぐのところ。小さく見過ごしやすいので注意。 (「ローマRoma-ポポロ広場を拠点に – チェーザレ・ボルジアとその周辺」より)]
「コロンナ宮殿 日本語ホームページ」 – 「インフォメーション」
カメラ北西方向・アーチ先左がコロンナ美術館入り口です。
カメラ西方向がコロンナ美術館入り口です。
コロンナ宮ギャラリーのカメラです。
コロンナ宮西中庭のカメラです。
コロンナ宮東中庭のカメラです。