マーカーはサン・ロレンツォ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂です。
サン・ロレンツォ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂
[サン・ロレンツォ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂(Basilica di San Lorenzo fuori le Mura)はローマにあるカトリック教会の大聖堂。ローマの五大バジリカ(他の四つはサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂、サン・ピエトロ大聖堂、サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂、サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂)の一つ。名称は「城壁外の聖ラウレンティウス大聖堂」を意味する。3世紀に殉教した聖ラウレンティウス(ロレンツォ)の墓の上に建設され、彼を記念する教会である。聖ラウレンティウスは助祭であった人物であり、258年にローマで殉教した七人の殉教者のうちの一人である。
この聖堂はコンスタンティヌス帝(在位:306年 – 337年)がラウレンティウスが殉教したとされる場所に彼の墓をつくり、競技場型バシリカをつくったのが始まりであるとされている。 その後、580年代に教皇ペラギウス2世(在位:579年 – 590年)によって大増築された。13世紀に教皇ホノリウス2世(在位:1124年 – 1130年)は古い聖堂の前に新たな聖堂をつくった。聖堂は聖人の生涯を描いたフレスコ画で飾られた。その後都市計画の一環として両聖堂を一つにする工事が行われた。この聖堂の地下の発掘作業によって多くの墓が発見されている。
サン・ロレンツォ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂は1374年から1847年までエルサレム総大司教の名義聖堂であった。1943年には連合軍の爆撃によって破壊され、1948年まで修復作業が行われた。この作業で19世紀に付け加えられた装飾は除去されたが、ファサードに描かれていたフレスコ画は修復できなかった。
19世紀のピウス9世(在位:1846年 – 1878年)やEUの父と呼ばれるイタリア首相アルチーデ・デ・ガスペリもここに葬られている。
サン・ロレンツォ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂平面図
「サン・ロレンツォ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂」・wikipedia-photo
1890年から1900年頃の大聖堂・wikipedia-photo
(wikipedia・サン・ロレンツォ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂より)]
「『7大聖堂を廻ってみようか?/ ⑥サン・ロレンツォ・フォーリ・レ …」
「Wikimedia Commons contiene immagini o altri file sulla basilica di San Lorenzo fuori le mura」
「サン・ロレンツォ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂 – Google Map 画像リンク」
カメラ東北東方向がサン・ロレンツォ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂です。
サン・ロレンツォ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂ロッジアのカメラで、カメラ北方向壁際にEUの父と呼ばれるイタリア首相アルチーデ・デ・ガスペリの墓です。(wikipedia-photo)
サン・ロレンツォ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂拝廊のカメラです。
サン・ロレンツォ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂身廊のカメラです。
サン・ロレンツォ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂祭壇前のカメラで、祭壇下は地下礼拝堂です。
サン・ロレンツォ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂祭壇前のカメラです。
カメラ位置は大聖堂祭壇後ろで、カメラ初期設定方向に司教座があります。
半地下の内陣周歩廊のカメラで、カメラ初期設定方向方向に聖ラウレンティウス(ロレンツォ)の墓があります。
聖ラウレンティウス(ロレンツォ)の墓前のカメラで、壁面は聖人の生涯を描いたフレスコ画で埋め尽くされています。
サン・ロレンツォ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂回廊のカメラです。
サン・ロレンツォ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂中庭のカメラです。