アクア・パオラの噴水

マーカーはアクア・パオラの噴水です。

アクア・パオラの噴水
[トラステヴェレ (Trastevere) はローマの地名。現行の行政区画としては13番目のリオーネ(Rioni di Roma)にあたり、テヴェレ川西岸に位置する。
トラステヴェレは日本語に訳せば「テヴェレ川の向こう側」であり、これはローマの中心地からみた場合のテヴェレ川を挟んだ向こう側ということを意味し、「ローマの下町」とも評される。
バチカンの南方にあたるとともに、ローマの有名な観光地フォロ・ロマーノコロッセオ真実の口からほど近いパラティーノ橋を西に渡り、テヴェレ川を越えた所に位置する。
この付近は入り組んだ路地が多く、観光客向けの飲食店も多い。地区の北側及び西側は丘陵地でジャニコロの丘Janiculum)と呼ばれており、丘の最も高いところは公園とローマ・ラ・サピエンツァ大学の実験植物園(Orto Botanico di Roma)で頂上にガリバルディの騎馬像(Monument to Garibaldi)がある。この公園の南端付近には、中世に再建されたパオラ水道の流末施設であるパオラの泉(Fontana dell’Acqua Paola)がある。
パオラの泉・wikipedia-photo]

[あと少しでジャニコロの丘のてっぺんという手前に表れる、ローマの街を見下ろすかのような大きな泉です。古代ローマのトライアヌス帝がつくった水道の終点を讃えるMostraという装飾建築です。他にも、有名なトレヴィの泉共和国広場(Piazza Repubblica)の近くにある、モーゼの泉も同じ目的で作られた泉です。
ローマの北にあるブラッチャーノ湖から水をひいて、テヴェレ川の左岸にできた初めての泉です。紀元109年のトライアヌス水道は完成しますが、時が経って、ボルゲーゼ家出身の教皇パウルス5世(在位:1605年 – 1621年)の命でフラミニオ・ポンツィオ(Flaminio Ponzio)により修復され、その教皇の名にちなんでパウルスの泉とされました。ボルゲーゼ家の紋章の鷹とドラゴンと教皇の冠がデザインされています。
1690年には建築家カルロ・フォンターナ(Carlo Fontana)により、5つの小さな水盤で水を受けていたのが大きな水盤に変えられ、現在に見られるような形となりました。
1849年にはフランスの砲撃によりダメージを受けています。  (「パウルスの泉 – ローマをお散歩」より)]

アクア パオラの噴水 – Google Map 画像リンク

カメラ南西方向がアクア・パオラの噴水です。