マーカーはヴィッラ・ファルネジーナです。
ヴィッラ・ファルネジーナ(英語:Villa Farnesina、イタリア語:Villa Farnesina)
[ローマのヴィッラ・ファルネジーナはルネサンス様式の邸宅です。1500年代初めにシエナ出身の銀行家アゴスティーノ・チーギ(Agostino Chigi)が建築家バルダッサーレ・ペルッツィに依頼して建てられ、ラファエロ、セバスティアーノ・デル・ピオンボ、ジョバンニ・A・バッツィ(通称ソドマ)そして、ペルッツィによりフレスコ画が描かれました。その後、1500年代終わりにアレッサンドロ・ファルネジーナによって買い取られました。このことによりテベレ川の向こうにあるファルネーゼ宮と区別するためにこの邸宅はファルネジーナと呼ばれています。現在は、アカデミア・デイ・リンチェイの迎賓館として使用されています。 (「ヴィッラ・ファルネジーナ」より)]
[ヴィッラ・ファルネジーナは1714年にはブルボン家の所有となった。その後曲折を経て1928年にはイタリア王立アカデミーの本拠地となる計画があった。しかし1944年にアカデミー自体が禁止されしてしまうと、アッカデーミア・デイ・リンチェイの所有となって現在に至る。賓客を迎えるための施設として使われるとともに、内部の部屋やロッジアに見学者も受け入れている。
「ヴィラ・ファルネジーナ(2017年4月14日)。当初の入り口。内部の装飾を保護するためロッジア部分はガラスで仕切られてあり、入り口は裏手になっている。」・wikipedia-photo
平面図。下方が北
「1階。ガラテイアのロッジアにある『ガラテイアの凱旋』(1511 – 1512)」・wikipedia-photo
「1階。アモーレとプシュケの間の天井画の一部。デザインはラファエロだが、作画は弟子たちによる」・wikipedia-photo
「2階。遠近法の間にあるだまし絵。16世紀当時のローマ市街地が描かれている」・wikipedia-photo
「2階。アレキサンダー大王とロクサーヌの結婚の間にある絵で、作画はソドマ。チーギの寝室として使われた部屋でもある」・wikipedia-photo
(wikipedia・ヴィラ・ファルネジーナより)]
「ヴィラ・ファルネジーナ – Google Map 画像リンク」
カメラ東北東方向がヴィッラ・ファルネジーナ入口門です。
カメラ初期設定方向がヴィッラ・ファルネジーナです。
「ガラテアの間」のカメラです。
「アモールとプシュケの間」のカメラです。
「帯状装飾(フリーズ)の間」のカメラです。
「遠近法の間」のカメラです。
「アレキサンダー大王とロクサーヌの結婚の間」のカメラです。
ヴィッラ・ファルネジーナ庭園のカメラです。