マーカーはサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂です。
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
[現在のドームは3代目にあたる。旧聖堂は、現在の教会堂の地下に眠っており、サンタ・レパラータ聖堂と呼ばれた。最初の教会堂は4世紀から5世紀に古代ローマ時代のドムス跡に建設されたが、ビザンティン時代の戦役によって破壊されたために、7世紀から9世紀にかけて再建された。現在、このロマネスク様式の大聖堂は、その内観の一部が公開されており、側廊を持ち、後陣を柱で分ける平面形式をみることができる。
1294年、フィレンツェ羊毛業組合 (Arte della Lana) は、最も高名な彫刻家であったアルノルフォ・ディ・カンビオにその設計を依頼した。1296年9月8日の起工式においてサンタ・マリア・デル・フィオーレと命名され、建設が開始される。市評議会は聖堂建設のために輸出するすべての物品に対し関税を、市民に対しては人頭税を課すことを決定した。しかし1302年にアルノルフォが死去、建築はいったん中断した。フィレンツェ羊毛業組合は建築責任者の後任を探し、1334年にジョット・ディ・ボンドーネを指名した。彼は、鐘楼の計画を押し進めたが、塔の建築途中(1337年)に死去した。1355年から再開された工事は、フランチェスコ・タレンティ、アルベルト・アルノルディ、ジョヴァンニ・ダンブロージョ、ジョバンニ・ディ・ラポジーニ、ネーリ・ディ・フィオラヴァンテ、オルカーニャなどの手を経る。とくにタレンティは、1357年から1366年にかけて、東端部をアルノルフォの計画よりも拡張し、現在の形に変更した。 1380年には大聖堂の身廊が完成し、1418年にはクーポラ(ドーム部分)を残すのみとなった。
14世紀末から、クーポラの架構は建設が危惧されていたが、フィリッポ・ブルネレスキは、独立した2重の構造を持つドームを仮枠なしで築く案を提出した。2重構造では重量が増し、危険ではないかと批判を受けたが、最終的にブルネレスキの案が採用された。1420年4月16日、ブルネレスキは工事責任者に任命されたが、彼の手腕を不安視する意見があったため、ロレンツォ・ギベルティとバッティスタ・ダントーニオも建設責任者として指名された。1420年8月7日、建設が開始され、1434年8月30日にはクーポラ頂頭部の円環が閉じられて一応の完成をみる。これにより、1436年3月25日にはエウゲニウス4世_(ローマ教皇)によって大聖堂の献堂式が行われた。このクーポラは木の仮枠を組まずに作られた世界で最初のドームであり、建設当時世界最大であった。
ブルネレスキはクーポラを完成させたが、クーポラ頭頂部にのせるランターン(明り取りの先端部)については1436年12月31日に承認されたデザインのみで、建築方法を考えていなかった。そのため、新たにランターンを載せる方法についてのコンテストが行われた。これにはミケロッツォ・ディ・バルトロメオの設計が採用され、彼は大聖堂主任建築家に任命された。ブルネレスキが死去する数か月前の1446年3月13日に建設が始まり、1461年に完成する。
大聖堂西側のファサード(正面)はアルノルフォ・ディ・カンビオの設計により、建設と同時に着工された。カンビオの死後、その設計に基づくファサードは下部のみが完成した状態で、19世紀までファサードは未完成のままであった。そこでフィレンツェの自治体は最初の構想をもとにファサードを再建することを決定、1864年にコンクールが行われ、エミリオ・デ・ファブリスによる新しいファサードが建設された。この建設は1876年に始まり、1887年に完成した。銅製の巨大な扉は1899年から1903年にかけて製作されたものである。
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂配置図
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂内部の装飾
左から洗礼堂・大聖堂・鐘楼(西からの眺め)・wikipedia-photo
大聖堂の正面・wikipedia-photo
インテリア・wikipedia-photo
主祭壇・wikipedia-photo
大聖堂天蓋の見上げ『最後の審判』・wikipedia-photo
(wikipedia・サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂より)]
ドゥオーモ付属美術館
[ドゥオーモ付属美術館は、ドゥオーモ(サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)に関する貴重な遺物、遺産を展示している美術館(博物館)です。ドゥオーモ装飾のために作られた彫刻、門、レリーフなどは、風雨による劣化を防ぐため、現在は多くが付属美術館に展示されています。
美術館は、大聖堂建設を管理するために1296年に建設された建物を利用しています。美術館として正式に公開されたのは1891年からです。
最大の見どころは、サン・ジョヴァンニ大聖堂の東扉、ギベルティ作「天国の門」のオリジナルです。「天国の扉」と並んで、北扉の「キリストの生涯」のオリジナルも展示されています。ルネサンス最高の彫刻家ミケランジェロの『バンディーニのピエタ』も未完成ながら、精巧に作られた傑作で、見逃せんません。また、贖罪の様子が見事に表現されているドナテッロ『マグダラのマリア』(1453-1455) も人気の作品です。 (「【フィレンツェ】ドゥオーモ付属美術館の見どころ、必見作品 ..」より)]
「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂 – Google Map 画像リンク」
カメラ東方向がサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂、聖堂右にジョットの鐘楼、聖堂前がサン・ジョヴァンニ洗礼堂です。
カメラ南東方向がサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂、聖堂右にジョットの鐘楼、大聖堂前がサン・ジョヴァンニ洗礼堂です。
カメラ初期設定方向正面扉上にパオロ・ウッチェロ作フレスコ画『24時間時計文字盤装飾』、カメラ右方向・左側廊壁にナンニ・デイ・バルトロ(Nanni di Bartolo)作『預言者シュア』、左方向・右側廊壁にドナテツロ作とされる『預言者ダニエル』とベネデット・ダ・マイアーノ作『ショットの胸像』があります。
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂拝廊のカメラで、カメラ初期設定方向左 – アンドレア・デル・カスターニョ作『ニッコロ・ダ・トレンティーノ騎馬像』(1456年)、右 – パオロ・ウッチェロ作『ジョン・ホークウッド騎馬像』があります。
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂身廊のカメラです。
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂祭壇(ブルネッレスキのクーポラ)前のカメラです。
ブルネッレスキのクーポラ
ブルネッレスキのクーポラ展望歩廊からのカメラです。
カメラ東方向がドゥオーモ付属美術館入口です。
カメラ初期設定方向中央が『天国の扉』、右が北扉で新約聖書の物語「キリストの生涯」「4人の福音史家」「四人の教会の教父」などが表現されています。左が南扉(1329〜1336年制作)で、彫刻家「アンドレア・ピサーノ」によって制作されました。南扉の装飾は、聖ヨハネの生涯の物語を描いた28枚のパネルで構成されています。完成当初、この扉は東側に設置されていましたが、天国の門の完成後に現在の場所(南側)に移されました。 (「サン・ジョヴァンニ洗礼堂 観光情報(入口・チケット売り場 …」より)
ミケランジェロ作『バンディーニのピエタ(『フィレンツェのピエタ』または『ドゥオーモのピエタ』)』(1547年? – 、フィレンツェ、ドゥオーモ博物館)未完成)
ドナテッロ作『マグダラのマリア』(1453-1455)