ピッティ宮殿

マーカーはピッティ宮殿です。

ピッティ宮殿(英語;Palazzo Pitti、イタリア語:Palazzo Pitti)
[ピッティ宮殿(Palazzo Pitti)は、イタリアフィレンツェにあるルネサンス様式の広大な宮殿。トスカーナ大公の宮殿として使用された。アルノ川の西岸に位置し、ウフィツィ美術館とはヴァザーリの回廊を通じて結ばれている。1587年にフェルディナンド1世・デ・メディチ(在位:1587年 – 1609年)が即位して以降、ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世(イタリア王国国王・在位:1900年 – 1946年)によってイタリア国民に移譲されるまで、トスカーナにおける宮廷としての役割を果たし続けた。約400年に渡り、メディチ家を中心として収集された絵画や宝飾品のコレクションは膨大な数にのぼる。現在この建物は、内蔵する美術品とともに美術館として一般に開放されている。
1457年、フィレンツェの銀行家ルカ・ピッティ(Luca_Pitti:1398年 – 1472年)はピッティ宮殿の建設に着手した。ピッティは、後に「祖国の父」と呼ばれるコジモ・デ・メディチ(1389年 – 1464年)のライバルであり、メディチ宮よりも優れた建物を作ることを望んでいた。後に自らの財政が悪化したときも、宮殿への投資は惜しまずに続けている。だがピッティ宮殿の完成を見ることなく、ピッティは1472年に死去。ピッティの死とともに、宮殿の建設も中止された。
ピッティの死から約100年を経た1550年頃、初代トスカーナ大公であるメディチ家の当主コジモ1世(1519年 – 1574年)が、体調を崩しがちになった妻エレオノーラ・ディ・トレドのためにピッティ宮殿を買い取った。これにともない中断されていた宮殿の建設が再開された。現在のウフィッツィ美術館が完成し、その建物が政治の場として機能するようになると、コジモ1世およびその家族は私的な時間をピッティ宮殿で過ごすようになる。結果としてコジモ1世の公私の空間は、二つの建物に分離された。
また、多数の芸術家を支援したことで知られるメディチ家は、美術品の収集にも熱心だった。ルネサンスを代表する名画や宝飾品が、時の当主の手によって集められた。これらが現在のピッティ美術館の中心となる収蔵品である。
1737年、メディチ家最後のトスカーナ大公であるジャン・ガストーネ・デ・メディチ(在位:1723年 – 1737年)が、後継ぎの男児が生まれないまま死去。少し遅れて1743年には、彼の姉であり最後のメディチことアンナ・マリーア・ルイーザ・デ・メディチ(1667年 – 1743年)も世を去った。アンナ・マリーアの死によってメディチ家の主流が断絶したため、トスカーナ大公の地位およびピッティ宮殿の主人の座はロートリンゲン家のフランチェスコ2世(フランツ1世_(神聖ローマ皇帝)・在位:1745年 – 1765年)が継承することになった。
アンナ・マリーアはその死に際し、「メディチ家のコレクションをフィレンツェから持ち出さない」ことを条件に、すべての美術品をトスカーナ政府に寄贈する遺言を残した。これによってメディチ家の収集品は散逸を免れた。
ピッティ宮殿の主は、メディチ家からハプスブルク・ロートリンゲン家(ロートリンゲン家)に交代しても、美術品の収集および増改築をやめることはなかった。ピッティ宮殿がほぼ現在の形になるのは19世紀末のことである。
●ピッティ美術館 – 1833年に公開が始まった。メディチ家を中心とした歴代の主が収集した1000点以上の美術品が公開されている。絵画を中心としたコレクションで別名は「パラティーナ美術館」。コジモ2世により1620年頃から収集が始められた。ピエトロ・ダ・コルトーナが内装を手がけたもので、「ヴィーナスの間」「アポロの間」「ユピテルの間」「マルスの間」などに残る壁画は彼の作品である。
●近代美術館 – 3階に位置し、主にロートリンゲン家のコレクションを展示。中心となるのはマッキア派の絵画である
●銀器博物館 – メディチ家の骨董品であるガラス器や琥珀などを展示している。かつてウフィッツィの「宝石の間」に展示されていたコレクションが核となっている。コジモ1世夫妻とその4人の子供の像が彫られた、ジョヴァン・アントニオ・デ・ロッシ作のオニキスのカメオが有名。
●衣装博物館 – 3階の北側に位置している。
●陶磁器博物館 – ボーボリ庭園に位置する庭園小屋内部にある。庭園小屋はもともとコジモ3世によって作られ、増築されて現在の形となった。
●馬車博物館 – ロートリンゲン家とサヴォイア家が所有していた馬車を展示している。
●ボーボリ庭園 – 総面積4万5000平方メートルの大庭園。コジモ1世はアンマンナーティに対して「貴人だけの場所であるから、庭園には誰も入ることが出来ないようにしたい」という手紙を送っている。その後、17世紀にようやく完成をみた。園内にはヴァザーリの回廊のピッティ宮殿側出口や、「ブオンタレンティの洞窟」、「円形劇場」などがある。またかつて要塞として作られ、現在は現代美術の特別展が開催されるフォルテ・ディ・ベルヴェデーレもこの庭園に位置する。
ピッティ宮殿前の広場・wikipedia-photo、ピッティ宮殿の中庭・wikipedia-photo、19世紀のピッティ宮殿・wikipedia-photo、19世紀の設計図・wikipedia-photo、宮殿内の壁画に描かれたメディチ家の紋章・wikipedia-photo  (wikipedia・ピッティ宮殿より)]


代表的作品 と その周辺」より)」

ピッティ宮殿「パラティーナ美術館」、世界遺産「ボーボリ庭園」の入場チケット、見どころを詳しくガイド

ピッティ宮殿 – Google Map 画像リンク」、「パラティーナ美術館 – Google Map 画像リンク」、「銀器博物館 – Google Map 画像リンク」、「Cortile dell’Ammannati – Google Map 画像リンク」、「Artichoke Fountain – Google Map 画像リンク」、「ネットゥーノ(ネプチューン)の噴水 – Google Map 画像リンク」、「Knight’s Building and Rampart – Google Map 画像リンク」、「Museum of Costume and Fashion – Google Map 画像リンク

カメラ南南東方向がピッティ宮殿です。

カメラ南西方向にピッティ宮殿チケット売り場があります。

カメラ位置はピッティ宮殿中庭です。

カメラ位置はピッティ宮殿庭園です。

パラティーナ美術館
展示室2「彫像の廊下 (Galleria delle Statue)」(「代表的作品 と その周辺」55p)

展示室4「アレゴリーの間 (Sala delle Allegorie)」 – 中央彫刻、エミリオ・ゾッキ(Emilio Zocchi)『ファウヌスを彫る少年のミケランジェロ』(1861)(「代表的作品 と その周辺」57p)

展示室6「ヘラクレスの間 (Sala di Ercole)」 – ピエトロ・ベンヴェヌーティのヘラクレスがテーマの作品が壁4面と天井にあります。
ヘラクレスの部屋 | フィレンツェからボンジョルノ!を参考」

展示室9「ベルニケの間 (Sala di Berenice)」 – カメラ初期設定方向右ドア上、フランチェスコ・フリーニ『詩と絵画のアレゴリー』( Wikimedia Commons・右の女性が詩を、左の女性が絵画を表します。

展示室15「プロメテウスの間 (Sala di Prometeo」 – カメラ初期設定方向中央・フィリッポ・リッピ『聖母子聖アンナの生涯』(聖母子と二人の天使 (リッピ)wikipedia-photo・1452-1453)

展示室21 – 「ナポレオンの浴室 (Bagno di Napoleone)」

展示室22 – 「ユピテルの教育の間(Sala dell’Educazione di Giove)」 – ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ眠るキューピッド」(1608)

展示室23「ストーブの間 (Sala della Stufa)」 – ピエトロ・ダ・コルトーナのフレスコ画
フィレンツェ、パラティーナ美術館の展示作品 (その8)

デル・モーロの大階段 – アントニオ・ロッセッリーノ(Antonio Rossellino)とベネデット・ダ・マイアーノの「フォンターナ」(以下、緑の間(サラ・ヴェルデ、Sala Verde)まで、2017年9月イベント時のストリートビューです。)

展示室24「イリアスの間 (Sala dell’Iliade)」 – 天井画のモチーフが古代ギリシャ時代の叙事詩「イリアス」であることからこの名で呼ばれています。カメラ方向左壁入口ドア右、ラファエロ・サンティ「身重の女の肖像」(1505-1506)(《妊婦の肖像》ラファエロ・サンティ|MUSEY[ミュージー]) 。その対面壁出入口左、ユストゥス・サステルマンス(Justus Sustermans)「ヴァルデマーロ・クリスティアーノの肖像(Portrait of Prince Valdemar, aged between 16 and 18)」(1638‐39)。

展示室25 「サトゥルヌスの間 (Sala di Saturno)」 – カメラ方向入口右壁、ラファエロ・サンティ「大公の聖母」。対面する壁入口左、「小椅子の聖母」。

展示室26「ユピテルの間 (Sala di Giove)」 – 中央彫刻、ヴィンチェンツォ・コンサーニ(Vincenzo Consani )の「ラ・ヴィットリア」。右壁入口左、ラファエロ・サンティ「ヴェールを被る婦人の肖像(La velata)」。

展示室27「マルスの間 (Sala di Marte)」 – カメラ初期設定方向入口左中央下、アンソニー・ヴァン・ダイク『グイド・ベンティヴォーリオ枢機卿の肖像(Portrait of Cardinal Guido Bentivoglio)』(1623) 。左壁中央上、ピーテル・パウル・ルーベンス『戦争の惨禍(Consequences of War)』(1638)。反転壁中央下、ピーテル・パウル・ルーベンス『四人の哲学者(The Four Philosophers)』(1611 – 1612)。

展示室28「アポロンの間 (Sala di Apollo)」 – カメラ初期設定方向入口左、ティツィアーノ・ヴェチェッリオ懺悔するマグダラのマリア』(1533年頃)、カメラ反転壁入口左、グイド・レーニ『クレオパトラの死』(commons.wikimedia・1635頃)

展示室29「ウェヌスの間 (Sala di Venere)」 – 中央像はアントニオ・カノーヴァ「ヴィーナス(Venere)」 (Wikimedia Commons)、その奥出入口左壁下の左端、ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『ユリウス2世の肖像画(Portrait of Pope Julius II)』(1545)。カメラ反転壁入口右、ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『ラ・ベッラ』。

壁龕の間

緑の間(サラ・ヴェルデ、Sala Verde)

玉座の間

女王の部屋(カメラ・デッラ・レジーナ、Camera della Regina)

白の間(サラ・ビアンカ、Sala Bianca)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

*