フィレンツェ五月音楽祭劇場(市立歌劇場)

マーカーは市立歌劇場です。

フィレンツェ五月音楽祭劇場
[フィレンツェ五月音楽祭劇場は1862年にヴィットーリオ・エマヌエーレ劇場(Politeama Fiorentino Vittorio Emanuele)として設立。フィレンツェ歌劇場、もしくはフィレンツェ市立劇場(Teatro Comunale di Firenze)とも呼ばれる。またフィレンツェ五月音楽祭は、1933年にヴィットリオ・グイにより創設された。劇場の首席指揮者や首席客演指揮者はリッカルド・ムーティチョン・ミョンフンセミヨン・ビシュコフらが務めた。1985年から現在までズービン・メータが首席指揮者を務めており、2006年には名誉指揮者の称号を贈られている。
フィレンツェ五月音楽祭劇場・wikipedia-photowikipedia-photowikipedia-photo  (wikipedia・フィレンツェ五月音楽祭管弦楽団より)]

[フィレンツェ市立歌劇場(Teatro Comunale、以下テアトロ・コムナーレと称します)は、1862年にテレマコ・ボナイウティンによって設計された歌劇場が元になっています。オープンエアーのアリーナは、今日の一般的歌劇場の形態を生み出しました。現在のテアトロ・コムナーレのメイン劇場は、アリーナ席の他、馬蹄形の観客席が階層になっており、総数2000の観客席を有します。コムナーレ小劇場は、メイン劇場の一側面に面してあり、約6000席の観客席を有します。
1944年の空襲時と、1966年の洪水の際、部分的に破壊されましたが、それらの時でも、街のシンボルであり、オペラ発祥の地としての威厳をかけて、修復工事が素早く行われました。この誇りを象徴したのが、1993年に、ウフィツィ美術館が爆破された時には、美術館横にあるシニョリーア広場でコンサートを開催しました。コスチューム、大道具、小道具、照明など、公演を支える影のスタッフの技術も高く、公演した人々から賞賛を得ています。  (「フィレンツェにある劇場」より)]

フィレンツェ五月音楽祭
[1933年4月、指揮者のヴィットリオ・グイによって創設された。当初の目的は現代オペラや忘れられたオペラの上演にあり、第1回で上演されたオペラはジュゼッペ・ヴェルディの初期の作品『ナブッコ』だった。当時はヴェルディの初期作品が上演されるのは稀だったのである。第1回の成功後は隔年で開かれていたが、第二次世界大戦中を除いて、1937年以後は毎年開かれるようになった。現在では音楽祭は4月末から6月にかけて開催され、通常4つのオペラが上演される。上演はコムナーレ劇場(市立劇場)と小規模オペラ向けのコムナーレ小劇場、さらに伝統的なペルゴーラ劇場で行われる。
コムナーレ劇場・wikipedia-photo  (wikipedia・フィレンツェ五月音楽祭より)]

カメラ北北東方向がフィレンツェ五月音楽祭劇場です。

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