聖ジェンナーロのカタコンベ、 マードレ・デル・ブオン・コンシーリオ教会

マーカーはマードレ・デル・ブオン・コンシーリオ教会です。

聖ジェンナーロのカタコンベ(英語・Catacombs of San Gennaro)
[サン ジェンナーロのカタコンベは、イタリアナポリにある地下の古キリスト教徒の埋葬と崇拝の場所で、多孔質の石である凝灰岩から彫られています。
街の北部、カポディモンテに続く斜面に位置し、サン・ジェンナーロ・スペリオーレ(San Gennaro Superiore)とサン・ジェンナーロ・インフェリオーレ(San Gennaro Inferiore)の 2 つのレベルで構成されています。カタコンベは、「死者の谷」と呼ばれることもあるナポリのリオーネ・サニタ地区(Rione Sanità)の地下にあります。この場所は現在、マードレ・デル・ブオン・コンシーリオ(Madre del Buon Consiglio)の大きな教会によって容易に識別できます。
もともと、聖ガウディオソス (San Gaudioso)、聖セウェルス (San Severo)、聖ヤヌアリウス (San Gennaro) にそれぞれ捧げられた 3 つの別々の墓地がありました。ナポリのこれらのカタコンベは、2 つのレベルに沿ってより広々とした通路があるという点で、ローマのカタコンベとは異なります。下の階は最も古く、3 世紀から 4 世紀にさかのぼります。実際には、後に新しい宗派に譲渡されたキリスト教以前の墓地の場所である可能性があります。アグリッピヌス(Agrippinus)司教が埋葬されてから、重要な宗教埋葬地になったようです。2 番目のレベルは、他の 2 つの隣接する墓地を包含するように拡張されたものでした。
サン・ジェンナーロ・エクストラ・モエニア(San Gennaro extra Moenia)の基礎は、南イタリアで最大のキリスト教のカタコンベであるサン・ジェンナーロのカタコンベとつながっています。
この場所は、5 世紀に聖ヤヌアリウス (Saint Januarius) の遺骨が埋葬された際に奉献されました。遺骨は、後に 9 世紀に司教ヨハネ 4 世 (John IV (bishop of Naples)・842-849) によってナポリ大聖堂に移されました。埋葬地がジェンナロの遺跡の周りに広がるにつれて、成長するキリスト教信仰のために地下礼拝所も増えました。カタコンベの宗教的使用の初期の例は、4 世紀にさかのぼるアグリッピヌス大聖堂です。祭壇と椅子は凝灰岩から彫られ、崇拝者のための集会所を作り出しています。 他の儀式スペースには、告白、洗礼のフォント、委託者 (確認のための領域) の座席として使用される彫刻が施された凝灰岩のテーブル、または聖油の「オレオラム」テーブル、そしておそらく修道院と隠者の独房が含まれていました。
11 世紀まで、カタコンベはナポリの司教たちの埋葬地でした。その中には、450 年に亡くなったカルタゴの追放された司教クオドヴォルデウス(Quodvultdeus)も含まれていました。 13 世紀から 18 世紀にかけて、カタコンベは深刻な略奪の被害に遭いました。カタコンベの修復は、骨格が別の墓地に移された後にのみ可能になりました。第二次世界大戦中、カタコンベは地元の人々が避難場所として使用していました。カタコンベは 1969 年にナポリ大司教によって再開され、1971 年に近代的な発掘調査が開始されました。
サン・ジェンナーロのカタコンベへの入り口・wikipedia-photo、彫刻が施されたロクリのあるホールの 1 つ・wikipedia-photo、サン・ジェンナーロの肖像を描いたフレスコ画・wikipedia-photo、サン・ジェンナーロのカタコンベのフレスコ画・wikipedia-photo]

[南イタリア最大の、初期キリスト教時代の遺構と言われる地下墓地。ナポリの守護聖人、聖ジェンナーロが埋葬されていたことから、“サン・ジェンナーロのカタコンベ”と呼ばれる。ここにカタコンベが作られ始めたのは西暦3世紀。カタコンベ、地下墓地と言っても丘の中腹になるので、地下を掘り進んだわけではない。丘にトンネルを掘っていったという方が正確だと思う。そういう意味では掘り易かったということもあるのだと思うけれど、何と10世紀まで墓地として使われていたという。ナポリの考古学博物館からカポディモンテ美術館へ行く途中の、ローマサン・ピエトロ寺院を模したといわれるマードレ・デル・ブオン・コンシーリオ教会の左横の入口から入る。  (「パレルモの優雅な?生活 – Le Catcombe di San Gennaro」より)]

サン・ジェンナーロのカタコンベ平面図(拡大図)

(拡大図)

カタコンベ・ディ・サン・ジェンナーロ – Google Map 画像リンク

カメラ南南東方向がカタコンベ の進入門で、門右がマードレ・デル・ブオン・コンシーリオ教会です。

カタコンベ入り口付近のカメラです。

カタコンベ内のカメラです。

聖ジェンナーロ
[聖ヤヌアリウス (Saint Januarius) または聖ジェナーロ (San Gennaro) は、カトリック教会正教会聖人殉教者致命者)。伝承によればヤヌアリウスは、ソルファターラ近隣の硫黄鉱山にあるポッツオーリの近くで、ディオクレティアヌス帝による迫害が行われていた西暦305年に逝去したとされている。彼はポッツォーリのプロクルス等、他の同志達と共に打ち首にされた。彼の遺体は後にナポリへと移され、そこで守護聖人となった。またイタリアでは聖ジェンナーロ (San Gennaro) と呼ばれる。正教会ではベネベントの神品聖致命者ヤンヌアリイと呼ばれる。
血の奇跡と畏敬
毎年液化すると噂されるその血液の奇跡を除くと、ヤヌアリウスの生涯や業績に関しての情報は非常に限られているが、カトリック教会と正教会(新暦)の教会暦の上では、9月19日に彼の祝祭日が定められている。何百年にも渡り保存されてきたヤヌアリウスの乾いた血液は、聖遺物箱の中の小さな容器に、安全に保管されている。毎年ヤヌアリウスの祝日や5月の第1日曜日前の土曜日に、彼の遺体の近辺へこれらの容器を持ってくると、乾いた血液は液状に変化するのである。
毎年、この催し物を一目見ようと、実に多くの人々がナポリ大聖堂に集まってくる。祈りや祈祷の最中に、主要祭壇にいる大司教がナポリの守護聖人である、聖ヤヌアリウスの乾いた血液が入っていると言われるガラスの小瓶を掲げ、それが液化したと言明するのである。この液化の宣言は、13世紀の建造物であるヌオーヴォ城において、21発の礼砲で迎えられる。
この儀礼は9月のヤヌアリウスの祝日の他に、5月と12月にも行われる。祝日に液化すると言われるこの「血液の奇跡」について、最初に言及されたのは1389年のことであった。
血液の液状化は、すぐに起こる場合や何時間もかかる場合があり、時に何日もかかることがある。
科学的調査
批評家は、奇跡的に液化するこの血には血液ではなく、オキシ水酸化鉄(FeO(OH))のようなチキソトロピーゲルがかなり含まれているのではないかと指摘する。こうした粘着性の物質は、刺激を与えずに置いておくと増幅し、かき混ぜたり動かしたりすれば減少して液化する。  (wikipedia・ヤヌアリウスより)]

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