グラスゴー市庁舎

マーカーはグラスゴー市庁舎です。

グラスゴー市庁舎
[グラスゴーの市庁舎に入ってみようと前まできたら、これが結構でかい。完成したのは1883年。まあ、観光客はあまりウロウロしちゃいかんだろうと思いながら何気に中を覗いてみる。。。別にドキドキするような事はしてませんが。でもイタリアン・ルネサンス様式のこの建物、薄暗い中に階段やら高い天井やらが全部大理石でいちいち重々しく、かなり躊躇する。開き直ってでかいカメラを構えたまま怪しいさ爆発で入ってみると、目を引くのは中央の床にモザイクタイルでドンと描かれた市章。オリジナルデザインは1866年だとか。守護聖人マンゴーの言葉をモチーフに出来ており、そのルーツは1270年頃に遡るらしい。あとで知ったんだけど1階は出入り自由。全体を見たければ、1日数回行われるツアーに参加すれば良いらしい。  (「グラスゴー市庁舎 – 地球放浪記 -海外 満足旅行のための情報を …」より)]

グラスゴー市役所 – Google Map 画像リンク

カメラ位置はジョージ・スクェアで、カメラ東方向がグラスゴー市庁舎です。手前は、第一次世界大戦で戦死したグラスゴー人を記念して建てられた市の慰霊碑です。

黄昏のグラスゴー市庁舎です。

グラスゴー市庁舎エントランスホールのカメラです。

グラスゴー
[紀元前からクライド川沿いに集落が形成されていた。ローマ帝国はこの地に前哨拠点を設置し、ローマ支配下のブリタニアケルト人ピクト人の住むカレドニアの間にアントニヌスの長城を建設した。グラスゴーの街はキリスト教の聖人聖ムンゴ(Saint Mungo)の伝道により6世紀頃につくられたと言われている。これ以後グラスゴーはスコットランドの中心として発展し、12世紀にはグラスゴー大聖堂が、1451年にはグラスゴー大学が創設された。16世紀に入るとクライド川の水運を用いた貿易が盛んになり、アメリカ大陸のタバコ、カリブ海の砂糖などがこの都市を中継してイギリス国内に運ばれた。1707年にイングランド王国スコットランド王国が合併、現在の連合王国としてのイギリス(しばしば、この合併政体は『ユニオン』と呼ばれる)が成立する。そして産業革命が始まると、ランカシャーで採掘される石炭と鉄鉱石によって工業化が進み、グラスゴーでは綿工業を中心とした産業が盛んになった。また都市の発展に伴ってアイルランド等からの移住者が増え、大英帝国第二の都市と呼ばれるようになった。また海運を通じて造船業も発展する。ヨーロッパ最大の機関車製造会社ノース・ブリティッシュ・ロコモティブはグラスゴーの企業であった。
しかし第二次世界大戦後、イギリスの経済が急激に悪化。他の都市と同様にグラスゴーもイギリスの不況の影響を避けることができなかった。1960年代になると造船所の閉鎖が相次いだ。しかしクイーン・エリザベス2号はこの時期にこの都市で建造されている。
1970年代から1980年代にかけても不況期が続き、治安も悪化していた。1990年代にはいると金融などを中心に経済が持ち直し、現在では地価が高騰している。  (wikipedia・グラスゴーより)]

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