マーカーはグレンリーです。
グレンリー
[グラスゴー交通博物館の最大の展示物が、博物館に接しているクライド川に係留してある貨物船のグレンリーである。(正確に言えば、グレンリーは博物館の所有ではなくクライド海事トラストの所属である)
グレンリーは数奇かつ幸運な船歴を持つ。1896年に一般貨物を運ぶ貨物船としてクライド川やや下流のポートグラスゴーで進水した。総排水量約3000トン、3本マストの鉄鋼帆船である。1919年まで英国船籍で世界を航行し日本にも来航している。この間無事故ではなかった。座礁一回と、あわや座礁が一回、大嵐で帆や操帆装置をほとんど失い辛うじて近くの港にたどり着いたこともあったが沈没に至らなかったのは幸運であった。
1919年イタリアの会社に売却され、さらに1922年にはスペイン海軍が練習船として購入した。1981年にはしばらくセビリアで博物館として使われたが、徐々に忘れられ1990年にはスクラップとして売却されることになったのだが、この情報を得たクライド海事トラストが入札で買い取ることに成功した。1993年、グレンリーは進水後97年ぶりに生まれ故郷のグラスゴーに曳航され、以後6年をかけて修理・復元された。1998年にやや上流のヨーク埠頭で一般公開され、2011年6月のリバーサイド博物館の開館に合わせて現在の場所に移されたのである。
写真で見るグレンリーは優雅である。しかし、内部を見学すると100年前の貨物帆船の荷役、航海、船員の生活の様子がよくわかるのだがそれは過酷である。一般船員の居室は狭苦しい3段の蚕棚式ベッドが三方の壁際にあり、中央に大きなテーブルがあるだけである。居室には小さな厨房が連接していてすべての食事をつくったが、メニューのほとんどが塩蔵品の肉類、魚とパンだけでさぞ不味かったと思われる。このせいで、コックは船員に人気が無かったそうだが、これではコックも可哀そうである。
帆船での航海はさらに過酷である。特に年中嵐が吹いている喜望峰沖の航行はそれこそ命がけで、よくこんな船でここを何度も往復したと感心する。
グレンリーは現在ツーリスト・アトラクション、教育教材、イベント会場として使用されている。 (「稲富博士のスコッチノート 第74章 クライド川散策 – バランタイン」より)]
クライド川との合流点にあるケルビン川。リバーサイド博物館の正面にあるポイントハウス キーは、ゴバン・パティック橋(Govan–Partick Bridge)の固定スパンとつながっており、大型帆船グレンリー(Glenlee (ship))の常設停泊地となっています。wikipedia-photo
「The Tall Ship at Riverside – Google Map 画像リンク」
カメラ北北西方向がグレンリーで、カメラ北東方向がグラスゴー交通博物館になります。