マーカーはプロバンド領主館です。
プロバンド領主館(Provand’s Lordship)
[プロバンドの領主館が当初どのような目的で建ったのか、よくわかっていませんが、この中世の建築物は15世紀のスコットランド屋敷設計の珍しい実例です。この百年間、取り壊しや再開発が盛んに行われた地域に存在したにもかかわらず、この建物が生き残ったのは「ブロバンド領主館協会(1906年創立)のおかげです。ブロバンド領主館は現在グラスゴー市が管理しており、グラスゴーが広大な教区を周辺にかかえた宗教と行政の中心地になった中正期の昔を市民にしのばせる絆となっています。
プロバンド領主館は15世紀のスコットランド屋敷設計の優れた設計です。最初は三階建ての砂岩の共同住宅で、一階ごとに暖炉のある部屋が三部屋ありました。おそらく建物の表は東側であったと思われ、二、三階へは木の中央階段で上がり、北と南の部屋に行くには木のバルコニーを使いました。1670年には屋外の階段やバルコニーを取り壊し、後方の部屋を建て増ししたり、現在見られる屋内のらせん階段を作ったりして、全室へのアクセスが取れるようになりました。このように改造したのは、当時ここに住んでいた裕福な仕立て人ウイリアム・ブリソンで、彼のイニシャルは、バロニー・ホールに面する南壁に彫ってあります。切妻の上端は南半分だけが「カラスの階段」 と呼ばれる段々になっています。以前は北半分も同じ構造でしたが、カッスル・ストリート沿いに北壁に隣接して共同住宅が出来た19世紀中ごろになくなりました。
プロバンド領主館の裏手にある回廊つきの庭園は、この建物と聖ニコラス礼拝堂と施薬院との関係を反映しています。ジェームス・カニング、ヤング&パートナーズの設計で15世紀頃に広く利用された薬用植物が植えてある外周の薬草園と、ケルト風のデザインを基調にし、ルネッサンス期に発生した形式的庭園の発達を示す中央の装飾的庭園の組み合わせです。屋根のある回廊には、1737年製の彫像のグロテスクな頭部が置いてあります。これはトロンゲートにあったトンティン・ホテルの回廊アーチのかなめ石だったものです。この庭園は1995年にアン王女のご臨席を得て正式オープンしました。 (「小咄の森 プロバンド領主館 グラスゴー Provand’s Lordship …」より)]
[スコットランド、グラスゴーのプロバンド領主館は、グラスゴー大聖堂とグラスゴー王立診療所(Glasgow Royal Infirmary)の目の前にあるキャッスル・ストリート(Castle Street)の最上部にあり、聖マンゴー宗教博物館の隣にある中世の歴史的な家博物館です。
プロバンド領主館は、グラスゴーの司教アンドリュー・ミュアヘッド(Andrew Muirhead)によって1471年に聖ニコラス病院の一部として建てられました。ウィリアム・ブライソン(William Bryson)によって設計された西部拡張は、1670年に完成しました。19世紀初頭、この家はバラナーク(Barlanark)の所有地からの収入に支えられたプリベンダーリー(Prebend)のカノン(律修司祭)で占められていました。その世紀の後半に、それはお菓子屋としてそれを使用したモートン家族(Morton Family)によって買収されました。1920年代後半にウィリアム・バレル(William Burrell)が現金とともに、1920年代後半の17世紀のスコットランドの家具のコレクションの寛大な寄贈があり、プロバンド領主館を保存するためにプロヴァンドの領主協会によって購入されました。1978年、グラスゴー市が建物を取得し、復元しました。1983年に一般公開され、さらに2年間続いた修復作業の後、2000年に再び公開されました。
プロバンド領主館ファサード(2012年3月画像)・wikipedia-photo
プロバンド領主館西側(2017年9月画像)・wikipedia-photo
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「プロバンド領主館 – Google Map 画像リンク」「セント・ニコラス・ガーデン – Google Map 画像リンク」
カメラ西北西方向がプロバンド領主館です。
セント・ニコラス・ガーデンのカメラです。