マーカーはマッキントッシュ・ハウスです。
マッキントッシュ・ハウス
[マッキントッシュ夫妻が1906年から1914年まで暮らした自宅マッキントッシュ・ハウス(The Mackintosh House)を訪ねたときのもようをご紹介します。その自宅、グラスゴー大学のキャンパス内のハンタリアン・アートギャラリー(Hunterian Art Gallery)に併設されています。英語によるガイドツアーのみですが、日本語の案内カードも用意されています。マッキントッシュ・ハウスの玄関のドアは閉め切りになっていて、ハンタリアンアートギャラリーの中から内部へ入ります。
ガイドさんの説明によると、オリジナルの自宅は100メートルほど離れた場所にあったものを現在の地に移転したとのこと。外観は実際の家とは異なるものの、内装や家具類はマッキントッシュ夫妻が暮らしていた当時を忠実に再現してあるのだそうです。各部屋の設計や内装、家具類は、マッキントッシュ夫妻によるもの。
残念ながら内部の撮影は禁止。 (「イギリス国際結婚あんなことこんなこと マッキントッシュの家を ..」より)]
[ハンタリアン・アートギャラリー(Hunterian Art Gallery)、マッキントッシュ・ハウス(The Mackintosh House)の開館時間は、火曜日から土曜日:10.00am – 5.00pm、日曜日:11.00am – 4.00pm。月曜日は閉館です。ただし、マッキントッシュ・ハウスの最終ガイドツアーは閉館の1時間前からとなっているので注意が必要です。入館料はいずれも無料ですが、ハンタリアン・アートギャラリーの特別展のみ有料です。 (「マッキントッシュの家を訪ねて イギリス/グラスゴー特派員ブログ …」より)]
「マッキントッシュ・ハウス – Google Map 画像リンク」
カメラ北西方向がマッキントッシュ・ハウスで、マッキントッシュ・ハウスに入るにはカメラ方向の玄関でなく、カメラ北のハンタリアン・アートギャラリーから入る。
チャールズ・レニー・マッキントッシュ
[チャールズ・レニー・マッキントッシュ(Charles Rennie Mackintosh, 1868年6月7日 – 1928年12月10日)は、スコットランドの建築家、デザイナー、画家。アーツ・アンド・クラフツ運動の推進者であり、スコットランドにおけるアール・ヌーヴォーの提唱者の一人でもある。
チャールズ・レニー・マキントッシュは1868年6月7日、警察官の父ウィリアム・マッキントッシュと母マーガレット・レニーの四男としてスコットランド、グラスゴーに生まれた。幼少の頃より足と目に障害を持っていたが、スコットランドの風土に触れる機会には恵まれ、多くのスケッチを描いた。
16歳の時(1889年)に、グラスゴーの建築家ジョン・ハッチソンの下に弟子入りし、同時にグラスゴー美術学校の夜間部にデザインとアートの勉強をのため入学。在学中には多くの学校賞を受賞。後の妻となるマーガレット・マクドナルド、その妹であるフランセス・マクドナルド、そしてハニーマン&ケッピー事務所での同僚でもあるハーバート・マックニーと出会っている。チャールズを含むこの4人は、ザ・フォー(The Four)と呼ばれ、グラスゴー、ロンドン、ウィーンの各地で展覧会を開き、その評判はマッキントッシュの名声を確立させるに至った。いわゆる、「グラスゴー・スタイル」と呼ばれるこの展覧会は、ヨーロッパ各地でその後も開かれ、ウィーン分離派に影響を与えたと言われる。
1889年、ジョン・ハッチソンの事務所から、ハニーマン&ケッピー設計事務所(1901年以後は、マッキントッシュのパートナーとなる。)に移り、製図係として働く。1890年、アレクサンダー・トムスン旅行奨学金に応募しこれを獲得。翌1891年イタリア旅行に出かける。
27歳の若さで、母校でもあるグラスゴー美術学校の新校舎の設計コンペに優勝。グラスゴーのティー・ルーム(Willow Tea Room)のインテリアデザイン、ヒル・ハウスの設計などをした。
当時、建築家としての名声が得られなかったマッキントッシュは、建築の仕事がなくなってしまい、後年南フランスに移り水彩画家に転向した。
1928年、喉の癌のためにロンドンで死去。クライズデール銀行が発行する100ポンド紙幣に肖像が使用されている。
作品・建築
●ライトハウス(1893年)
●グラスゴー芸術学校(1899年)
●クイーンズ・クロス・チャーチ(1897年)
●デイリー・レコード・ビルディング(1900年)
●ハウス・フォー・アート・ラバー(1900年、実現せず、1996年建設)
●ウィロー・ティルーム(1903年)
●ヒルハウス(1904年)
●マッキントッシュ・ハウス(フロレタイン・テラス)[1906年、現・ハンタリアン・アート・ギャラリー]
●グラスゴー美術学校 図書館(1909年) (wikipedia・チャールズ・レニー・マッキントッシュより)