グーテンベルグ広場

マーカーはヨハネス・グーテンベルクの像です。

グーテンベルグ広場
[ストラスブール大聖堂近くの広場は、中世時代のこのあたりの行政組織の中心地でした。1321年に建設されたゴシック建築の市役所は現在商工会議所として利用されています
グーテンベルグはドイツ生まれですが、1434年にストラスブールに移り住み、ルネサンス三大発明の一つ、活版印刷術を実用化しました。新・旧約聖書を初めて印刷したのも彼です。  (「ストラスブール観光|あるざすかい」より)]

[グーテンベルクは1433年に母エルゼが死去してから、兄姉との関係がうまくいっていなかったようで、それが原因なのか1434年以降シュトラースブルクに移り住んでいる。
1434年3月にグーテンベルクが書いた書簡があり、母方の親戚の住むシュトラースブルクに住んでいることが書かれている。彼はまた金細工師としてシュトラースブルクの民兵組織にも登録されている。1437年には裕福な商人に宝石研磨の技術を教えていた証拠もあるが、どこでそのような技術を身につけたのかは不明である。同じころ、シュトラースブルク出身の女性との婚約破棄に関連した訴訟に名前が記録されている。実際に結婚したかどうかは記録されていない。
1439年頃、グーテンベルクはアーヘンの巡礼者に(聖火を写し取るといわれていた)研磨した金属鏡を売るという事業に出資を募り、財政的問題を生じた。1439年、同市ではカール大帝の遺品を展示する計画があったが、深刻な洪水が発生したため1年延期された。そのため集めていた資金の使ってしまったぶんを返せなくなったのである。出資者を満足させるため、グーテンベルクは「秘密」を共有すると約束したといわれている。この秘密が活字による印刷のアイデアだったのではないかと言われている。伝説では、「光線のように」アイデアが訪れたという。
1444年まではシュトラースブルクに住んでいた。1440年、シュトラースブルクで自身の研究に基づく印刷術を完成させ、 Kunst und Aventur(アートと事業)と題してその秘密を公開したと言われている。彼がどういうことをやっていたのか、既に活字を使った印刷を試していたのかは定かではない。その後、記録には4年間の空白がある。1448年、マインツに戻ると義理の兄から借金しており、印刷機などの機器をそろえる資金にしたと見られる。そのころまでに凹版印刷に精通していた可能性がある。  (wikipedia・ヨハネス・グーテンベルクより)]

グーテンベルク広場 – Google Map 画像リンク」「Statue Of Gutenberg – Google Map 画像リンク

カメラ西南西方向にヨハネス・グーテンベルクの像があります。

カメラ南西方向が旧市役所(現在商工会議所)です。

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