ローマ橋

マーカーはローマ橋です。

ローマ橋
[グアダルキビール川にかかる橋の1つで古代ローマ時代に築かれました。2000年もの間コルドバの歴史を見守り続けてきましたが、その間の戦争や暴動の度に壊され、また改修されるというパターンを繰り返してきたところです。回教時代に要塞として建てた塔がメスキータからの対岸(グアダルキビール左岸)にあり、通称ラ・カラオラ(La Calahorra)と呼ばれています。内部はコルドバ市の歴史博物館です。  (「コルドバ / ローマ橋 – スペインing」より)]

[16のアーチで支えられた全長230mの橋の中央には、聖人ラファエルの石像が佇んでいます。長きに渡りコルドバの街を見守り続けてきた街の守護聖人です。  (「【※世界遺産指定都市】 コルドバ歴史地区(スペイン)」より)]

[ヒスパーニア・バエティカは現在のスペインアンダルシア地方に相当する地域。元老院属州のひとつで、元老院の任命のもとでプロコンスルが統治した。
第二次ポエニ戦争後、ローマ帝国はこの地域を属州とした。当初はイベリア半島の属州は南方「ヒスパニア・キテリオル」と北方「ヒスパニア・ウルステリオル」という名で分割されていた。そして紀元前14年、アウグストゥスのローマ領再編で、イベリア半島の属州は3分割されて現在の「ヒスパニア・バエティカ」となった。なお、州都はコルドバに置かれた。
帝政時代にはこの属州はローマの中でも裕福な属州のひとつとなり、裕福な中流階層を生み出し、彼等のもとで解放奴隷などが活躍する土地となった。またこの土地は安全で軍隊の駐留はなく、ローマ軍は東隣のヒスパニア・タッラコネンシスに駐在するのが普通だった。また経済力の隆盛を背景に皇帝ウェスパシアヌスの治世には彼等の支持基盤を築こうと「投票権なしのローマ市民権」をこの地域の自由民全員に与えている。そして、初の属州出身皇帝トラヤヌス、続いて甥のハドリアヌスがこの地から登場する。しかしながら、409年になるとヴァンダル族に蹂躙され、ローマの属州ではなくなる。これ以降、東ローマ帝国による再支配(スパニア属州552-624)の期間を除くと、ゲルマン人の支配者を仰ぐこととなる。  (wikipedia・ヒスパーニア・バエティカより)]

Roman Bridge of Córdoba – Google Map 画像リンク

カメラ北方向がローマ橋です。

カメラ位置はローマ橋の中央部です。

カメラ位置はローマ橋の北端です。