サグラダ・ファミリア(聖家族教会)

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サグラダ・ファミリア(聖家族教会)
[サグラダ・ファミリアは聖家族贖罪教会(カタルーニャ語:Temple Expiatori de la Sagrada Família)という正式名称を持つバルセロナにあるカトリックバシリカである。日本語では聖家族教会と呼ばれることも多い。
カタロニア・モダニズムの最も良く知られた作品例であり、バルセロナ市のシンボルであり、カタロニアの建築家アントニ・ガウディの未完作品であり、拡張市街地域に建てられている。綿密に構成された象徴詩的なシンボロジーと共に、パラボリックな(放物線状の)構造のアーチや、鐘楼に据えられた自然主義抽象表現主義の混在する彫刻などで、大胆な建築様式を誇っている。2004年の統計によれば、サグラダ・ファミリアはアルハンブラ宮殿やマドリッドのプラド美術館を抜いてスペインで最も観光客を集めたモニュメントとなり 、2008年には270万人を集めた. 生前のガウディが実現出来たのは地下聖堂と生誕のファサードなど、全体の4分の1未満であるが、
これらは2005年に「アントニ・ガウディの作品群」を構成する物件としてユネスコの世界文化遺産に指定された。 贖罪教会なので、作業の財政は喜捨に頼っている。そのために、別々の箇所を同時に建設することは出来なかったのだが、1990年代以降は訪問者の流れと作品の世評の高まりが財政状況を好転させた。
2010年11月7日にサグラダ・ファミリアを訪問した教皇ベネディクト16世(在位: 2005年-2013年、名誉教皇在位: 2013年- )がミサ聖別(聖堂に聖水を注ぐこと)を行ったことにより、サグラダ・ファミリアはバシリカとなった。教皇によるミサには司教ら6500人が参列し、800人の聖歌隊が参加した。
9代目設計責任者のジョルディ・ファウリは、ガウディの没後100年にあたる2026年に完成予定と発表しているが、2020年に新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が世界的に大流行した影響で、スペイン国内でも感染拡大防止のためロックダウン(都市封鎖)が行われ工事中断を余儀なくされたほか、建設のための重要な資金源である喜捨やチケット収入が大きく減少したことから、2026年の完成は不可能と見られている。彫刻家の外尾悦郎が1978年から従事しており、2013年からは主任彫刻家として全体を取り仕切っている。
サグラダ・ファミリア平面図

青色-アプス(Apse)、橙色-周歩廊(Ambulatory)、赤色-クワイア(Choir)、ピンク色-翼廊(Transept)、紫色-ファサード(Facades)、緑色-身廊(Main Nave)、うす緑色-側廊(Aisles)、灰色-回廊(Cloister)、黒色-再建された聖家族学校(Sagrada Família Schools・Reconstruction of the schools)
NA=キリスト降誕のファサード(Nativity Façade)、 PA=受難のファサード(Passion Façade)、GL=栄光のファサード(Glory Façade)
B=洗礼堂(Baptistry)、CH= 聖母マリアの復活の礼拝堂(Chapel of the Resurrection of Virgin Mary)、P= 聖餐の礼拝堂(Chapel of the Sacrament)、S1=西聖具室(West Sacristy)、S2=東聖具室(East Sacristy)
1=マティアスの尖塔(Matthias’ Spire, 98 m)、2=ジュードの尖塔(Jude’s Spire, 107 m)、3=サイモンの尖塔(Simon’s Spire, 107 m)、 4=バルナバスの尖塔(Barnabas’ Spire, 98 m)、5=ジェームズ・ザ・レッサーズの尖塔(James the lesser’s Spire, 107 m)、6=バーソロミューの尖塔(Bartholomew’s Spire, 112 m)、7=トーマスの尖塔(Thomas’ Spire, 112 m)、8=フィリップの尖塔(Philip’s Spire, 107 m)、9=アンドリューの尖塔(Andrew’s Spire, 112 m)、10=ピーターの尖塔(Peter’s Spire, 117 m)、11=ポールの尖塔(Paul’s Spire, 117 m)、 12=ヤコブ大尖塔(James the Greater’s Spire, 112 m)、E1=ルークの尖塔(Luke’s Spire, 125 m)、E2=ジョンの尖塔(John’s Spire, 125 m)、E3=マークの尖塔(Mark’s Spire, 125 m)、E4=マシューの尖塔(Matthew’s Spire, 125 m)、M=聖母マリアの尖塔(Virgin Mary’s Spire, 123 m)、J=イエスの尖塔(Jesus’ Spire, 170 m)
「サグラダ・ファミリア」・wikipdia-photo、受難のファザード・wikipdia-photo、内装・wikipdia-photo、「サグラダ・ファミリア教会完成予想模型」・wikipdia-photo
ギャラリー・wikipedia-photowikipedia-photowikipedia-photowikipedia-photowikipedia-photowikipedia-photo  (wikipedia・サグラダ・ファミリアより)]

聖家族学校(Sagrada Família Schools)
[サグラダ・ファミリア学校の建物は、1909年にサグラダ・ファミリア教会の敷地の近くに、スペイン人建築家アントニ・ガウディによって建設されました。これはサグラダ・ファミリアを建設する労働者の子供たちのための小さな学校の建物でしたが、近所の他の子供たちは、特に恵まれない家庭からも参加しました。教育は、数学の教師でガウディの友人であるマギン・エスピナ・プジョールが担当しました。その写真教育クラスは現在の学校にあります。
建物の平面計画は10m(33フィート)x 20 m(66フィート)の長方形で、3つの教室、ホール、礼拝堂があり、建物に加えて洗面所があります。建設は、カタロニアの技術的伝統に従って、3つの重なり合う層のレンガのファサードで建設されました。壁も屋根も波打つような形状で、軽やかさを感じさせると同時に、力強さも兼ね備えています。外側の屋外教室として意図された3つのエリアは、鉄のパーゴラで覆われていました。
建物は、サグラダ・ファミリア大聖堂の創設者であるジョセップ・マリア・ボカベラ(Josep Maria Bocabella)が主宰したサンホセ(San José)の敬虔な人々の委託により設計されました。その主な発起人は、1930年まで学校の校長であったサグラダ・ファミリアの最初の教区司祭であるギル・パレス(Gil Parés)でした。
学校は1909年11月15日にバルセロナの司教フアン・ホセ・ラガーダ・イ・フェノレラ(Juan José Laguarda y Fenollera)によって発足しました。もともとは、サグラダ・ファミリアの計画された開発の初期段階では必要とされない場所で、栄光のファサードに面する運命にある地面にありました。
学校はスペイン内戦中に深刻な被害を受けました。その間、建物はブロックに解体され、後で再建されました。
2002年には、教会の継続的な発展のために元の学校の敷地が必要となり、学校の建物は再び解体され、サルデーニャ通りとマヨルカ通りの間の敷地の南隅に移されました。]

サグラダ・ファミリア – Google Map 画像リンク

PA=受難のファサード(Passion Façade)側の鳥瞰カメラです。

PA=受難のファサード(Passion Façade)

NA=キリスト降誕のファサード(Nativity Façade)

CH= 聖母マリアの復活の礼拝堂(Chapel of the Resurrection of Virgin Mary)側のカメラ。

PA=受難のファサード(Passion Façade)エントランスのストリートビューです。

サグラダ・ファミリア拝廊のストリートビューです。

サグラダ・ファミリア身廊前のストリートビューです。

サグラダ・ファミリア身廊のカメラです。

左翼廊からクワイア(Choir)を見たストリートビューです。

CH= 聖母マリアの復活の礼拝堂(Chapel of the Resurrection of Virgin Mary)

聖家族学校(Sagrada Família Schools)

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