マーカーはヒメネス・シスネーロス邸です。
ヒメネス・シスネーロス邸
[1537年、プラテレスク様式(ルネサンス期にスペインで見られた、ムデハル様式とフランボワイヤン=ゴシック様式の混合)で建てられた邸宅。シスネロス枢機卿の甥ベニートが暮らしていたため、この名がついた。広場に面したファサード部分は、20世紀に家の所有者となったマドリード市によって、市庁舎との調和をはかるため改修された。言い伝えによると、フェリペ2世(在位:1556年 – 1598年)の秘書アントニオ・ペレスはこの邸宅に監禁されていた。首相を務めたラモン・マリア・ナルバエスは、退陣後にこの邸宅で暮らした。
シスネロスの家・wikipedia-photo (wikipedia・ビリャ広場より)]
[深い感銘を与えるこの邸宅は1537年、シスネーロス枢機卿の甥ベニート・ヒメネス・デ・シスネーロスによって建設されました。プラテレスコ様式の建物で、その一番の特徴はサクラメント通りに面するファサード、2本の美しい柱に支えられたバルコニーを飾る花崗岩の切石でできたアーチです。当時、ビジャ広場に面していたファサードは建物の裏側で、厩舎に続いていました。この邸宅にはスペインの歴史に名を残す重要人物が滞在しました。フェリペ2世の秘書官だったアントニオ・ペレスがここに囚われ、1590年にここからフランスへ逃亡しました。その上、ロマノネス伯爵がここで生まれ、ナルバエス将軍やポラビエハ司令官が滞在しました。 (「esMADRID.com – 1日で周るマドリードの建築物&モニュメント」より)]
「Casa de Cisneros – Google Map 画像リンク」
カメラ南南西方向がヒメネス・シスネーロス邸です。