マーカーはプエルタ・デル・ソルのカルロス3世像です。
プエルタ・デル・ソル
[マドリードの中心部、いわばヘソのような場所で(実際、東京の日本橋のようにスペイン各地との距離の基準点になっている)、 夜遅くまで多くの人で賑わっている。3つの地下鉄線の駅や観光バス「マドリード・ビジオン」の停留所があるほか、王宮やマヨール広場、グラン・ビア通り、サン・イシドロ教会などもここから歩いて行ける距離にあるため、観光の起点として非常に便利。付近には多くの店やレストラン、バル、ホテルなどが密集している。 (「マドリード – Wikitravel」より]
[プエルタ・デル・ソルとは『太陽の門』を意味し、15世紀にはマドリードを取り巻く城壁の門の一つであった。壁の外側では、中世の郊外が成長し始めていた。門の名前は、太陽が昇る東へ向けて門の入り口が設置されていたことに由来する。17世紀から19世紀にかけ、プエルタ・デル・ソルは市民の重要な待合場所であった。スペイン他地域や国外からの荷物が郵便局へ集められる最終目的地で、最新のニュースが集まってきた。広場には『サン・フェリペの階段』と呼ばれる階段のあるサン・フェリペ修道院があり、宮廷のゴシップが多く生まれた。広場南側にある旧郵便局は、フランス人建築家ジャック・マルケによって1766年から1768年にかけて建設された。フランシスコ・フランコ独裁時代、建物は内務省や国防省本部がおかれていた。現在はマドリード州の州首相府がおかれている。南側には他に、カルロス3世_(スペイン王)(在位:1735年 – 1759年)像がある(数多くの公共事業を後押ししたカルロス3世は、大王と別名で呼ばれる)。広場北側には、クマとイワナシの像がたつ。これは、マドリード市の紋章を表している。郵便局のまっすぐ北にある地面には、マドリードの象徴的な中心としてプラークが設置されている。広場は、交通の起点であるのみならず、特に反暴力・反戦の多くの集会や抗議デモが集まる象徴になっている。2004年、スペイン列車爆破事件後の抗議デモが、プエルタ・デル・ソルで行われた。また2011年5月15日からスペイン全土で沸き起こっている15-M運動では連日24時間ここに多数の群衆が集結、およそ1カ月この抗議運動は続いた。
プエルタ・デル・ソルの地下は公共交通のハブとなっており、マドリード地下鉄の1号線、2号線、3号線が走っている。セルカニアス マドリードは、予定より4年遅れて、2009年6月27日に開業した。工事の遅れは、ブエン・スセーソ教会本堂掘削作業中に遺跡が発見されたためだった。拡張によって新しい駅は、プエルタ・デル・ソルとセルカニアスがつながるようになったことから、アトーチャ駅やチャマルティン駅を直接経由せずともすむようになった。
「プエルタ・デル・ソル」・wikipdia-photo、0kmを示すプラーク・wikipdia-photo、クマとイワナシの像・wikipdia-photo、カルロス3世騎馬像・wikipdia-photo (wikipedia・プエルタ・デル・ソル_(マドリード)より)]
「太陽の門 – Google Map 画像リンク」、「クマとイチゴノキ – Google Map 画像リンク」
カメラ西北西方向がプエルタ・デル・ソルで奥にカルロス3世像があり、カメラ西北西方向にクマとイワナシの像があります。
カメラ北東方向がカルロス3世像で、カメラ南方向が旧郵便局(現在マドリード州首相公邸)です。
クマとイワナシの像前のカメラです。