プラド美術館

マーカーはプラド美術館です。

プラド美術館(英語:Museo del Prado、スペイン語:Museo del Prado)
[プラド美術館は、スペインマドリードにある美術館。歴代のスペイン王家のコレクションを中心に幅広いヨーロッパ絵画を展示する世界有数の美術館であり、数々の重要な傑作が収蔵されている。

美術館の前身である王室コレクションは、16世紀にヨーロッパ第一の大帝国となったスペインの莫大な富と権力を背景に選りすぐりの絵画が当時の美術の中心であったイタリアフランドルなどから購入されたことに端を発している。スペイン・ハプスブルク家カール5世が基礎を築き、フェリペ2世フェリペ4世に引き継がれた、このコレクションは17世紀末には5500点を超える膨大なものであった。スペイン・ブルボン家の時代になってもコレクションはフェリペ5世カルロス4世らによって拡充されたが、1734年の旧マドリード王宮の火災で500点以上が灰塵に帰し、19世紀初頭のナポレオン軍の侵攻による略奪等によってさらにヤン・ファン・エイクの『アルノルフィ二夫妻像』、ジャック・ルイ・ダヴィッドの『サン・ベルナール峠を越えるボナパルト』などの傑作を含む数百点が失われた。
美術館は、1819年11月19日に「王立美術館」と称して開館した。1868年の革命後には「プラド美術館」と改称され、現在は文化省所管の国立美術館となっている。美術館開館後、コレクションは教会、個人収集家等からの寄贈、購入によって大きく増加し、現在では質量ともに世界有数の美術館となっている。
メインとなるビリャヌエバ館の建物は、1785年にカルロス3世が自然科学に関する博物館を作るため、フアン・デ・ビリャヌエバ(Juan de Villanueva)に設計させたものである。しかし、博物館として使われることはなく、カルロス3世の孫のフェルナンド7世が妻マリア・イサベルの進言を受け、美術館とした。その後、20世紀を通じ、新たな展示室を設けるために、いくたびかビリャヌエバ館は拡張された。その東側には、2007年にホセ・ラファエル・モネオの設計による新館、ヘロニモス館が増築され、主にカフェテリア、ショップなどのサービス施設のほか、企画展示に使用されている。ビリャヌエバ館は2階・1階・0階・-1階の4フロア、ヘロニモス館は2階・1階・0階で構成され、両館は0階で連絡している。現在、さらに近隣のサロン・デ・レイノス (Salon de Reinos) の建物を新たな別館とする拡張計画が進行中である。
プラド美術館には約8000点以上の油彩画、約1,000点の彫刻、約4,800枚の版画、約8,200枚の素描、多くの美術史に関する書類が収められている。2021年の時点で約1400点の絵画が展示されており[4]、約3,100点は他の美術館や研究所へ貸与されている。その他の作品は保管されている。
プラド美術館の名を世界的なものにしているのは、何と言ってもルネサンスバロック絵画を中核とした膨大なヨーロッパ絵画である。その特徴は、歴代スペイン王の趣味やスペインの歴史を如実に反映していることで、西洋美術史を系統的にバランスよく展示しているわけではなく、時代、国、画家によって偏りがある。その一方、他の欧米の美術館ではあまり見ることができない数多くの画家の作品が集中的に収蔵されており、それが美術館独自の魅力となっている。
プラド美術館:正面・wikipedia-photo、「プラド美術館新館、へロニモス館内のカフェテリア」・wikipedia-photo、「ディエゴ・ベラスケスの展示室」・wikipedia-photo  (wikipedia・プラド美術館より)]

プラド美術館平面図(pdf画像リンク)

プラド美術館ホームページ

世界五大美術館のひとつ「プラド美術館」で見た有名作品紹介 …

プラド美術館 – Google Map 画像リンク

カメラ東方向がプラド美術館です。

プラド美術館チケット売り場前のカメラで、プラド美術館の入口は、「ゴヤの扉」「ヴェラスケスの扉」「ムリーリョの扉」「ヘロニモスの扉」の4か所あります。一般の入場者は、東側にある「ヘロニモスの扉」から入場します。

「ヘロニモスの扉」の入場口です。

エントランスホールのカメラです。

プラド美術館 0 階インフォメーションホールのカメラです。

プラド美術館展示室 1 のカメラで、カメラ右方向にインフォメーション、カメラ西方向が 40-44 室方向で 44 室には『ダナエ (ティツィアーノの絵画)』があります。


[1553年 – 1554年、国立カポディモンテ美術館所蔵の作品(wikipedia-photo)からエロスが侍女に変更され、上脚部を覆っていた布が無くなっている。]

展示室 12 – ディエゴ・ベラスケス作『ラス・メニーナス』(1656年)

  
展示室 16 – バルトロメ・エステバン・ムリーリョ作『無原罪の御宿り』(wikipedia-photo・1678年頃)

展示室 25 – ティントレット作『弟子の足を洗うキリスト』(1548-1549年)

  
展示室 36 – フランシスコ・デ・ゴヤ作『裸のマハ』(1797年-1800年頃)

着衣のマハ

ルイス・パレット・イー・アルカザー(Luis Paret y Alcázar)作『ベルメオの眺め(Técnica de Piedras duras)』(1783年)

ルイス・パレット・イー・アルカザール(Luis Paret y Alcázar)作『ベルメオの眺め』(1783年・ビルバオ美術館蔵)をピエトラ・デュラ(Pietra dura)と言う、イメージを作成するために、カットされて取り付けられた高度に磨かれたカラーストーンを使用するインレイ技法の装飾芸術作品です。

ピーテル・ブリューゲル作『死の勝利』(1562年頃)(wikipedia-photo)

[14世紀中頃にヨーロッパ全土を席巻したペストの大流行は、人々の死生観に大きな影響を与えた。有効な治療法もなく、現世のいかなる地位・武力・富も意味を成さず、あらゆる階級の人々が為す術もなく死んでいく社会情勢の中で、「メメント・モリ」(羅語:memento mori、「死を記憶せよ」)の警句が言い習わされるようになった。そして、キリスト教美術における教訓画として「死の舞踏」および「死の勝利」の様式が普及していった。
死の舞踏は、骸骨の姿で擬人化された「死」が生者に語りかけ、やがて老若男女や身分職業を問わずあらゆる人々の手を取り、踊りながら墓地すなわち死の世界へと導いていくという様式である。
一方、死の勝利は、骸骨姿の死があらゆる階級の生者へと襲いかかり、容赦なく蹂躙するという様式で、より恐怖や凄絶さにあふれたものである。  (wikipedia・死の勝利_(ブリューゲル)より)]

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