プラハ城(大統領府、王宮美術館)

マーカーはプラハ城(噴水)です。

プラハ城(英語:Prague Castle、チェコ語:Pražský hrad)
[プラハ城の歴史は9世紀(870年)にさかのぼる。壁に囲まれた最初の建築物は、聖母マリア教会であった。聖イジー聖ヴィートバシリカは、10世紀の前半に建設された。ボヘミアで最初の修道院は城の中、聖イジー教会の隣に建設された。ロマネスク建築の宮殿がここに建てられたのは、12世紀のことである。14世紀には、ボヘミアの黄金時代を築いたカール4世(モラヴィア辺境伯・在位:1334年 – 1349年、ボヘミア王カレル1世・在位:1346年 – 1378年、神聖ローマ皇帝・在位:1355年 – 1378年)の支配の下、王宮がゴシック建築で再建され、城砦として強化された。聖ヴィートのロトンドとバシリカの代わりに、広大なゴシック教会が建設されたが、完成までにはほぼ6世紀かかった。ボヘミアの宗教改革者とされ、ローマ教会によって火刑に処せられたヤン・フス(1369年 – 1415年)の一派によるフス戦争(1419年 – 1439年)の間とその後の10年、城は空位のままであった。1485年、ウラースロー2世(ヴラジスラフ・ヤゲロンスキー・在位:1471年 – 1516年)が城の再建に着手した。広々としたヴラジスラフ・ホールがベネディクト・レジェによって王宮に建設された。その後、城の北側には新しく防御の塔も建設された。1541年の大火で城は甚大な被害を受け、ハプスブルク家の支配下では、いくつか新しくルネサンス建築の建物が建設された。フェルディナント1世((ボヘミア王・在位:1526年 – 1564年、神聖ローマ皇帝・在位:1556年 – 1564年)はベルヴェデーレを妻アンナ・ヤギエロのために夏の離宮として建設した。ルドルフ2世(ボヘミア王・在位:1575年 - 1612年、神聖ローマ皇帝・在位:1576年 – 1612年)はプラハ城を主たる居城とした。ルドルフは宮殿の北翼を建設し、そこにスペイン・ホールを作って、自分の貴重な芸術コレクションを展示した。1618年に起きた2度目のプラハ窓外投擲事件白山の戦い(1620年11月8日)の契機となり、戦闘の間にプラハ城は荒れ果てた。三十年戦争(1618年 – 1648年)の過程で1648年、ルドルフ2世のコレクションは、多くの作品がスウェーデンによる略奪に遭った。プラハ城の再建としては、18世紀後半に女帝マリア・テレジア(ボヘミア女王)が行ったものが最後となる。フェルディナント1世(ハンガリー国王・1793年 – 1875年、オーストリア皇帝在位:1835年 – 1848年)は1848年の退位後、プラハ城を居城とした。1918年、チェコスロバキア共和国の成立とともに、プラハ城には大統領府が置かれた。新王宮と庭園はスロベニアの建築家ジョゼ・プレクニク(Jože Plečnik)により修復された。
プラハ城には、ゴシック建築の聖ヴィート大聖堂、ロマネスク建築の聖イジー教会のバシリカと修道院、そして宮殿、庭園、尖塔が含まれており、先の千年間のあらゆる建築様式を実態的にあらわしている。城内の大部分は観光客に開かれており、現在、城の建物には国立美術館ボヘミアバロック部門、国立美術館ヨーロッパ絵画・中世部門、チェコの歴史について展示する国立歴史博物館、おもちゃ博物館、ルドルフ2世の収蔵品をもとにしたプラハ城絵画美術館といったいくつかの博物館が存在する。また、夏のシェイクスピア演劇祭がプラハ城の中庭で定期的に開催されている。プラハ城のある周辺はフラッチャニ(城の丘)と呼ばれている。プラハ全市の主な観光名所は深夜0時までライトアップされるが、フラッチャニに浮かぶライトアップされたプラハ城の姿は美しい。しかしプラハの夏至前後はサマータイムの影響もあり夜の22時近くにならないと完全に暗くならない。夜の治安も比較的安定しているプラハ市は、夜に名所を巡って歩く観光客も多い。プラハの他の名所のライトアップも見たいのなら早く夜がやってくる秋こそ観光にふさわしい。
プラハ城平面図

1.フラチャニ広場、2.城門、3.最初の中庭、4.マティアス門、5.二番目の中庭、6.三番目の中庭、7.聖イジー聖堂前広場、8. Jiřskáストリート 、9.東門、10.古い城の階段 、11.壁の上の庭 、12.パラダイスガーデン、13.城の階段 、14.四番目の中庭、15.パウダーブリッジ、16.鹿の堀、17.オピシュの丘 、18.ヴィカシュカ(Vikářská)通り 、19.コール噴水、20.井戸、21.オベリスク、22.聖ジョージの像、23.聖十字架の礼拝堂、24.コラムホール、25.王宮美術館、26.スペインホール、27.帝国の厩舎、28.大統領官邸玄関、29.聖ヴィート大聖堂、30.発掘の様子、31.旧牧師館のオフィス、32.ナヴィカルチェと鋳造所、33.ミルタワー、34.イーグルファウンテン、35.雄牛の階段、36.大統領府とアパート、37.旧王宮、38.乗馬階段、39.ウラディスラフのホール、40.ムラドットの家(図書館)、41.新牧師館事務所、42.聖イジー聖堂、43.テレジア貴婦人研究所、44.オールセインツ教会、45.黄金小路、46.古い城伯の館、47.ロブコヴィツ宮殿、48.旧聖イジー修道院、49.白い塔、50.ダリボルカ塔、51.黒い塔
プラハ城の遠景とヴルタヴァ川にかかるカレル橋wikipedia-photo、プラハ城の航空写真・wikipedia-photo、ライトアップされたプラハ城のファサード・wikipedia-photo  (wikipedia・プラハ城より)]

チェコのプラハ城を観光してわかった!行き方・チケット …

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カメラ位置はフラッチャニ広場で、カメラ北東方向がプラハ城の正門です。
[門の前には二人の衛兵が立っていて、チェコの象徴であるプラハ城を守っています。衛兵の交代式は一時間毎に行われ、正午の交代式は伴奏とともに行われます。その伴奏曲はチェコの有名な作曲家、コツァーブ・ミカエル(Kocáb Michal)が作曲しました。  (「見所>プラハ城」より)]

カメラ位置はプラハ城最初の中庭(平面図 3)で、カメラ東方向がマティアス門です。
[プラハ城の正門を抜けると最初の中庭に入ります。正面にある石造りの門以外の建物はマリア・テレジアによって17世紀に建てられました。建物の上の部分を鎧の彫刻が飾られています。その石造りの門はマティアス門と呼ばれています。マティアス門は1614年にマティアス帝によって建てられました。門には当時の神聖ローマ帝国の王国の紋章と相当のワシ(ハブスブルクの紋章)が飾られています。この門は最初のプラハのバロック様式の建物とも言われてます。  (「見所>プラハ城」より)]

カメラ位置はプラハ城二番目の中庭(平面図 5)です。カメラ北北西方向にプラハ城の王宮美術館の入り口(平面図 25)、その右カメラ北方向にきた北門及びパウダーブリッジ(平面図 15)、カメラ東北東方向に鳥籠のような鋳鉄の格子で囲われた井戸(平面図 20)、カメラ東方向に1686年に作られたコール噴水(平面図 19)、カメラ南東方向に聖十字架礼拝堂(平面図 23)、その右カメラ南南東方向が大統領府玄関(平面図 28)です。

カメラ位置はパウダーブリッジで、カメラ南方向が北門です。門を抜けると二番目の中庭です。

ジュゼッペ・アルチンボルド作『ウェルトゥムヌスに扮するルドルフ2世
[ルドルフ2世が亡くなった後、ボヘミアは欧州全体を巻き込む三十年戦争の主戦場となり、プラハ城のルドルフ2世の収集品のほとんどが破壊され、散逸した。本作は、1648年にスウェーデンによって略奪されて同国に移され、現在はストックホルム郊外の湖畔に建つスコークロステル城(Skokloster Castle)に収蔵されている。  (wikipedia・ウェルトゥムヌスとしての皇帝ルドルフ2世像より)]

ハンス・フォン・アーヘン作『ボヘミア王マティアス皇帝』(1612年)

ヤコポ・バッサーノ作『秋の寓話』(1580年代)

ティツィアーノ・ヴェチェッリオ作『愛の寓話』(1576年以前)

ピーテル・ブリューゲル作『干し草作り』(1565年)

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