マーカーはサン・ジュスト大聖堂です。
サン・ジュスト大聖堂(イタリア語:Cattedrale di San Giusto (Trieste))
[サン・ジュスト大聖堂 - 13世紀。最初に教会として建てられたのは6世紀で、かつてのローマ神殿の上であった。後に教会はロンゴバルド族侵攻で破壊された。大聖堂内には当時のモザイク床が一部残っている。9世紀から11世紀にかけ、旧教会跡地に2つのバシリカが建設された(1つは被昇天の聖母へ、もう1つはトリエステの聖ユストゥスへ献堂)。14世紀に2つのバシリカが1つにされた。サン・カルロ・ボッロメオ礼拝堂は、スペイン・ブルボン家のレジティミストであった、カルロス王子一族の霊廟となっている。
「サン・ジュスト大聖堂」・wikipedia-photo (wikipedia・トリエステより)]
[街のシンボル的な教会。ロマネスク様式の2つの聖堂が合体して出来上がったことが特徴で、正面のファサードは14世紀のバラ窓がはめ込まれています。また鐘楼は古来ローマ神殿の遺構の上に建ち、床には一部モザイクが施されるなど、とても表情豊かな教会でもあります。 (「トリエステ Trieste | イタリア政府観光局」より)]
[サンジュスト大聖堂は、トリエステ市の主要なカトリックの宗教建築です。 街を見下ろす同名の丘の上にあります。
トリエステの歴史家のほとんどが報告しているように、現在の大聖堂の外観は、2つの教会、被昇天の聖母教会と聖ジュストに捧げられた教会の統一に由来しています。1302年から1320年の間にロベコ(Robecco)のロドルフォ・ペドラザニ(Rodolfo Pedrazzani)司教によって1つの屋根の下に組み込まれ、印象的な大聖堂の建物を街に提供しました。
大聖堂に関する最初の記述は1337年にさかのぼります。1337年には、サンタマリアの旧教会の鐘楼が新しい建物を支える厚い壁で覆われていました。鐘楼の作業は1343年に終了しましたが、教会独自の作業は実質的に世紀の終わりまで続きました。鐘楼は元々高かったのですが、1422年に落雷に見舞われ、現在の高さまで築減しました。
オーストリア公国に対する都市の決定的な献身(1382)
[※当時トリエステは、近郊の強国ヴェネツィア共和国との戦争が続き、1369年から1372年にはヴェネツィアが事実上トリエステを支配した。ヴェネツィアの脅威に対抗できなかったトリエステの自治都市市民たちは、オーストリア公皇帝レオポルト3世(在位:1365年 – 1386年)に、トリエステを彼の封土に加えてくれるよう懇願した。1382年10月、停戦合意締結が、シシュカ村(Šiška、ラテン語名apud Sisciam、現在はリュブリャナの一地区)の聖バルトロメウス教会で行われた。しかし市民らは、17世紀まで自治権の一定部分を保持した。wikipedia・トリエステより]
の後、皇帝レオポルト3世は、1385年11月27日に彼は大聖堂の高祭壇を奉献した、トリエステのドイツ人エンリコ・デ・ヴィルデンシュタイン(Enrico de Wildenstein)を初代の司教に指名しました。
1899年11月、教皇レオ13世(在位:1878年-1903年)はそれを小聖堂の尊厳にまで引き上げました。
教会の厳格なファサードは、クレモナ近くのソンチーノ(Soncini)から司教が連れて来た巨匠の職人によってその場で精巧に造られた、巨大なカルスト石のバラ窓によって豊かにされています。トリエステのVia dei Sonciniの名前で、その記憶が残っています。
鐘楼と教会の正面の両方が、ローマ時代の遺物で惜しみなく覆われています。たとえば、入り口には古代の墓石が利用されています。1862年にローマ時代の台座で作られた棚の正面に追加されたブロンズの胸像、3人の著名な司教を表しています。エネア・シルヴィオ・ピッコロミニ(Enea Silvio Piccolomini)、後の教皇ピウス2世(在位:1458年 – 1464年)、大聖堂で尊敬されている遺物の発見者リナルドス・カリチキオ(Rinaldo Scarlicchio)、16世紀のヒューマニスト、アンドレア・ラピシオ(Andrea Rapicio)です。
鐘楼には、5つの大きなベルの複合体があります。
ファサードと鐘楼・wikipedia-photo
中央身廊・wikipedia-photo
高祭壇・wikipedia-photo
左側廊(マリア・アスンタの聖体)・wikipedia-photo
マリア・アスンタの聖体のドーム・wikipedia-photo
右側廊のドーム・wikipedia-photo
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サン・ジュスト大聖堂平面図(「L’adeguamento liturgico della Chiesa di San Giusto Martire」より)
1. Altare
2. Ambone
3. Cattedra
4. Sede
5. Battistero con il fonte battesimale
6. Posizione fonte battesimale provvisorio per la veglia pasquale
7. Fonte battesimale non utilizzato
8. Custodia eucaristica
1. 祭壇
2. 説教壇
3. 司教区の「座席」
4. 司教座
5. 洗礼盤のある洗礼堂
6. 復活徹夜祭のための臨時洗礼盤の位置
7. 未使用の洗礼盤
8. 聖体の保管
「サン・ジュスト大聖堂 – Google Map 画像リンク」「Torre Campanaria della Cattedrale – Google Map 画像リンク」
カメラ南東方向がサン・ジュスト大聖堂で、カメラ東北東方向がサン・ジュスト城です。
カメラ東方向がサン・ジュスト大聖堂ファサードです。
サン・ジュスト大聖堂ファサード前のカメラです。
サン・ジュスト大聖堂身廊のカメラです。
サン・ジュスト大聖堂祭壇前のカメラです。
サン・ジュスト大聖堂右祭壇前のカメラです。
鐘楼上のカメラです