元老院広場

マーカーは元老院広場です。

元老院広場(Helsinki Senate Square)
[大聖堂のすぐ下に広がる元老院広場や大きな階段も市民の憩いの場。こちらも様々な催し物会場として使われることがあり、約40万個の御影石が引きつめられたかなり広いスペースが人だらけになることもしばしば。中央にあるのはロシア皇帝アレクサンドル2世(在位:1855年 – 1881年)の像。1917年に独立するまでの100年間、フィンランドはロシア帝国に併合されていたから、その名残なのだろう。  (「ヘルシンキ大聖堂と広場 – 地球放浪記」より)]

[1807年、ロシア皇帝アレクサンドル1世(在位:1801年 – 1825年)はティルジット条約においてナポレオンの対英大陸封鎖(大陸封鎖令)に参加する見返りとして、フィンランド領の獲得を承認させた。このため、1808年ロシア帝国はスウェーデン政府に宣戦布告(フィンランド戦争)、既にフィンランド人にはスウェーデン人に対する不満が渦巻いていたが、フィンランド軍は孤軍奮闘した。しかしスウェーデン軍は、ロシア軍に大敗すると算を乱して逃亡し、翌年の1809年春にロシア軍はフィンランドを全域を制圧した(フレデリクスハムンの和約、ハミナの和平)。アレクサンドル1世は、フィンランド大公となり、フィンランドを立憲君主制大公国とした。内政はフィンランド人が担当し、公用語はスウェーデン語、後に待望のフィンランド語が追加された。開明的な啓蒙専制君主であったロシア皇帝アレクサンドル2世の下、「自由の時代」を謳歌し、フィンランド人の民族的基礎が着々と築かれていった。今でもフィンランド人はアレクサンドル2世を敬愛しており、その銅像とちなんで名付けられたアレクサンドル通りとが有名である。しかし文化も宗教も異質なロシア人に支配されることによって初めて自らのアイデンティティの問題に直面したのである。そして民族としての独立した精神は名実共に確立し、フィンランド文化も頂点に達するのである。  (wikipedia・フィンランドの歴史より)]

ヘルシンキ元老院広場 – Google Map 画像リンク」「ロシア・アレクサンドルⅡ – Google Map 画像リンク

カメラ位置は元老院広場で、カメラ北北東方向がロシア皇帝アレクサンドル2世像で、その左にヘルシンキ大聖堂、右方向が政府宮殿、カメラ西南西方向がヘルシンキ大学です。

イベント開催中の元老院広場

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