メリクリウスの間

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メリクリウスの間
[このメルクリウスの間はもともと大居室の装飾的な寝室で、それが起源となって「寝台の寝室」とも呼ばれましたが、しばらくするとその寝台は冬場は取り払われ、その代わりに遊戯の机が置かれました。1689年、アウクスブルク同盟戦争に向けて資金を調達するためにルイ14世(在位:1643年 – 1715年)が鋳造を余儀なくされるまで、机、鏡、薪載せ台、ゴブラン彫金師の見事な銀細工が施されたシャンデリアなどが、壁、天井、暖炉を飾っていました。同じく銀製の手すりが、アルコーブと残りの部屋の部分を区切っていました。金銀の糸で織った織物のブロケードが壁と寝台を覆っていましたが、それらもスペイン継承戦争のために手放さなくてはなりませんでした。このメリクリウスの間が珍しく寝室として利用されたのは、ルイ14世の孫、アンジュー公のスペイン国王即位の宣言の折でした。アンジュー公はこの部屋を3週間寝室として使用し、その後彼の新しい国スペインへ向かいました。また、1715年9月2日から10日までルイ14世の遺体が安置されたのもこの部屋です。
アウクスブルク同盟戦争は「9年戦争」とも呼ばれましたが、1688年、フランスがファルツに侵攻したことにより始まりました。この侵略を前に、神聖ローマ帝国、オランダ、スペインは同盟を結成して、ルイ14世の義妹エリザベート・シャルロットのファルツ継承権主張に対抗しました。この戦争はルイ14世の治世で最も重要な戦争で、1697年10月30日、フランスへのストラスブール譲渡により終結しました。スペイン継承戦争の発端は、カルロス2世が継承者もなく亡くなった後ルイ14世が亡き国王の遺言によりアンジュー公をスペイン国王につけたことに始まります。つまり自分の血筋であるハプスブルグ家ではなくブルボン家による継承を望む遺言だったのです。
ジャン=バティスト・シャンペーニュの天井画には、2匹の雄鶏が引く戦車の上のメルクリウスが描かれています。ヴォールトには4枚の絵画が飾られています。左側(マルスの間の側)の、インドからの使者を迎え入れるアウグストゥス、奥(窓の向かい)の、図書室にいるプトレマイオス・フィラデルフォス、右側の窓際の、アレキサンダー大王と、彼から様々な外来動物を受け取るアリストテレスの絵です。現在見ることのできる寝台は、ルイ=フィリップ(在位:1830年 – 1848年)がヴェルサイユを博物館にしたときに王の寝室に設置したものです。  (「国王の大居室 – ヴェルサイユ宮殿」より)]

ヴェルサイユ宮殿2階見取り図

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