衛兵の間・戴冠式の間

マーカーは衛兵の間です。

衛兵の間
[「大理石の階段」とも呼ばれた王妃の階段の先から、この衛兵の間を通って王妃の大居室に入るのですが、この衛兵の間には、昼夜12人の衛兵が王妃の護衛に当たっていました。ヴェルサイユ宮殿では、王、王妃、そして王太子のみが自分の衛兵を持つことができ、この衛兵は王のもつ4中隊の精鋭部隊に属していました。次の大きな部屋は今日「戴冠式の間」と呼ばれていますが、この衛兵たちのための部屋でした。
王妃の衛兵の間は、一列に配された部屋のうち、17世紀の装飾がそのまま保存されている唯一の部屋です。王妃はその部屋に留まることはなく、修復する必要性がなかったからです。そのために、今でも、大居室の最初の特徴である大理石の羽目板が残され、もとあった「ジュピターの間」(現在の「戦争の間」)から1680年に移動されて掛けられた絵画が現在も見えます。
「ヴェルサイユ宮殿における衛兵の任務は、居室の出入り口の見張りであり、王子が通ると武器を手にし、 ミサの時には礼拝堂に詰め、王家の晩餐の護衛をすることでした。衛兵たちは同輩公を知っていなくてはなりませんでした。なぜなら彼らが前を通ると武器を手にし、右足のかかとで2回靴音を立てる必要があったからです。
同様に、この衛兵は扉を開き、しかし開いたままにしておいてはならず、全ての任務を免除されることを希望しているのが感じられました」
1789年10月6日明け方、この衛兵の間に、王にパンを求めて人々が襲撃し、王妃の居室に迫ります。侍女が衛兵から知らされてグラン・クヴェールの間の扉に施錠をし、王妃に逃げ出すように勧めたのでした。後戻りした襲撃者たちは、王の衛兵の間に侵入しようとしたのでした。  (「王妃の大居室 – ヴェルサイユ宮殿」より)]

『ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠』
[『ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠』は、ナポレオン1世の首席画家ジャック=ルイ・ダヴィッドにより描かれた油彩画で、1807年に完成された。正式にはルーブル美術館から、『1804年12月02日、パリのノートルダム大聖堂での大帝ナポレオン一世の成聖式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠式』(フランス語: Sacre de l’empereur Napoléon Ier et couronnement de l’impératrice Joséphine dans la cathédrale Notre-Dame de Paris, le 2 décembre 1804)と呼ばれているが、これを略して『ナポレオンの戴冠式』として知られている。
幅10メートル (33 ft)、高さ6メートル (20 ft)ほどの大作で、歴史的局面を印象的に表現している。
1804年9月、ナポレオンから口頭で作品制作が依頼された。1805年12月21日、ジャック=ルイ・ダヴィッドは、ソルボンヌ近くのクリュニー校前の教会を作業場として、作品に取りかかった。弟子のジョルジュ・ルジェの助けを借りて、彼が最後の仕上げを終えたのは、1808年1月のことであった。1808年のサロン・ド・パリ(官展)で、作品は2月7日から3月21日まで展示され、10年ごと賞を受賞する。
作品の所有権は1819年までダヴィッドのもので、その後は王立美術館に移され、1837年まで倉庫に保管されていた。次いでルイ・フィリップの指示により、ヴェルサイユ宮殿の「戴冠の間」に展示された。1889年には、ヴェルサイユからルーヴル美術館に移動された。
作品公開直後の1808年ダヴィッドは、アメリカの事業家から同サイズの複製を描くよう注文を受けた。同年彼は記憶を頼りに2作目の制作に取りかかり、ブリュッセルへ亡命中の1822年にこれを完成させた。最終的に2作目は1947年にフランスに戻され、ヴェルサイユ宮殿に保管された。  (wikipedia・ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠より)]

ヴェルサイユ宮殿2階見取り図

カメラ位置は衛兵の間です。

カメラ位置は「戴冠式の間」で、カメラ初期設定方向に『ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠』が展示されています。

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