鏡の間

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鏡の間
[儀式や外国の賓客を謁見するために使われた鏡の間は、1871年にドイツ皇帝ヴィルヘルム1世の即位式(1871年1月18日)が行われ、また第一次世界大戦後の対ドイツとの講和条約であるヴェルサイユ条約(1919年)が調印された場所でもある。鏡の間にはたくさんの銀製品が飾られていたというが、ルイ14世(在位:1643年 – 1715年)は晩年になって、スペインとの王位継承争いが続いて戦費の捻出に困り、破産を免れるためにこれらを売って戦費に充てたという。
鏡の間・wikipedia-photowikipedia-photo、『ドイツ帝国の成立』(アントン・フォン・ヴェルナー画)・wikipedia-photo、「『ヴェルサイユ宮殿、鏡の間における講和条約調印、1919年6月28日』。作・ウィリアム・オルペン」・wikipedia-photo  (wikipedia・ヴェルサイユ宮殿より)]

[17世紀には「大回廊」と呼ばれたこの回廊は、宮廷人や外部からの訪問者といった人々の通路、待ち合わせと出会いの場所として利用されていた。
強国三国同盟に対する勝利が戦争の間で称えられているのに続いて、フランスの政治的、経済的、そして芸術的偉業の数々が、鏡の回廊の全長さ73メートルいっぱいに飾られています。政治的成功:丸天井に描かれたシャルル・ルブランの作品30点は、ルイ14世が戴冠以来18年の間(1661年からナイメーヘンの和約まで)に成し遂げた偉業を物語っています。 そして、軍事的勝利から外交的業績、王国の再編成などの改革なども古代風のスタイルで寓意的に描かれています。経済的繁栄:回廊のそれぞれの窓の正面にはアーケードが位置し、全部で17のアーケードは合計357枚の鏡で装飾されています。その大きさや数を見れば、フランスの新しいガラス工場が、当時最高級の贅沢品であった鏡の専売元としての地位をヴェネツィアから奪い取るほどの力を持っていたことが分かります。芸術的達成:ランス産大理石のつけ柱には、「フランス式秩序」と呼ばれる新しい様式が取り入れられ、金メッキブロンズの柱頭の装飾が施されています。コルベールの要請に応えてシャルル・ルブランが考案したこの様式は、フランスの雄鶏二羽の間に王の太陽を頂くユリの花をあしらったもので、フランス国家を象徴するものとなっています。
この大きな回廊は、宮廷人や外部からの訪問者といった人々の通路、待ち合わせと出会いの場所として利用されていました。回廊が儀式の場となることは稀で、例えば外交使節接見の際に君主が最大限の威光を示すため、または王族の結婚式の際に舞踏会や遊戯など娯楽の場を提供するために使われました。こういった行事の際には、玉座が回廊の奥の壇上に設置され、その横の平和の間に続くアーケードは閉められました。しかしながら、権力がこれ見よがしに誇示されることは稀なことでした。例えば、外国からの大使が回廊の端から端まで横切るのを庭園に集まった大勢の宮廷人が見守ったのは、1685年のジェノア総督、1686年のシャム大使、1715年のペルシア大使、1742年のオスマン帝国大使の訪問時でした。また回廊で開かれた婚礼の祝典としては、1697年のルイ14世の孫ブルゴーニュ公爵の結婚式、1745年のルイ15世(在位:1715年 – 1774年)の王子の結婚式、そして1770年5月にマリー=アントワネットと王太子(将来のルイ16世、在位:1774年 – 1792年)の婚礼を記念して開かれた仮装舞踏会などがあります。また、1919年6月28日に第一次世界大戦の終わりを告げる ヴェルサイユ条約が調印されたのもこの回廊でした。その後、フランス共和国大統領はフランスの公式ゲストをこの回廊で迎え続けています。  (「鏡の回廊 – ヴェルサイユ宮殿」より)]

ヴェルサイユ宮殿2階見取り図

鏡の間 – Google Map 画像リンク

カメラ位置は鏡の間北隣の戦争の間です。

カメラ位置は鏡の間です。

鏡の間の360citiesです。

カメラ位置は鏡の間南隣の平和の間です。

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