ネイビー・ピア

マーカーはネイビー・ピアです。

ネイビー・ピア
[ネイビー・ピア(Navy Pier)は、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴミシガン湖岸にある桟橋状の埋立地域。レクリエーション施設が立ち並び、多くの観光客で賑わう。シカゴダウンタウン北部(いわゆるニア・ノース地域のStreeterville地区)に所在し、ミシガン湖沖へ約1kmの長さで細い帯状に伸びる形となっている。ネイビー・ピアは現在、シカゴで最も観光客が訪れるスポットである。
1916年に、シカゴ都市計画(Burnham Plan)の一部として、450万ドル(現在の価値で8780万ドルに相当)を費やして建設。「第2ミュニシパル・ピア」の名前で複合目的の公共インフラ施設として計画・建設されたが、第一の目的はミシガン湖の輸送船のための貨物施設設置であり、多くの倉庫が建てられた。他方、蒸気客船のドック施設が置かれ、また冷房の無かった当時、先端部を中心に人々の集まる避暑の場としても設計されていた。路面電車も走っていた。ピアは1930年代後半まで、ピクニックエリアや食事施設、ダンスホール、公会堂、子供の遊び場などのレクリエーション施設を備えた夏の行楽地と形容されていた。海軍によるピアの使用は、シカゴ市がピアを海軍に供用した第二次世界大戦期間中にピークを迎える。戦後、ネイビー・ピアはイリノイ大学に移譲され、1946年より退役兵のための2年間の学部課程に使用された。この間も、ネイビー・ピアでは公共イベントが開かれていた。1950年代には年間の平均来訪者は320万人と見積もられ、この年代がピアの黄金時代と呼ばれることもある。1965年にイリノイ大学がシカゴサークル・キャンパスに移転するとネイビー・ピアは使用されなくなり、放置されたピアは目障りな存在と扱われた。上述のシカゴ都市計画やピアの過去の成功を知る人々の間から再開発を求める声が上がり、1976年に展示ホールのイースト・ビルディングが突端部にオープン。ネイビー・ピアは公共展示の場として新たなスタートを切る。インフラは老朽化していたが、音楽・芸術祭などの特別イベントは人々を集めるようになる。1989年、ピア・展示都市局(Metropolitan Pier and Exposition Authority、MPEA)がネイビー・ピアを管理下に置く。1990年代に2億ドル規模の大改修工事を実施し、ファストフード店舗や小売店、ボールルーム、コンサートステージ、会議場・展示場が置かれた。現在のネイビー・ピアは、20万平米のエンターテインメント区域と16,000平米の展示場区域、4,600平米のレセプション区域、4,500平米の会議室区域を有する。夏季に行われるベネチアン・ナイト・フェスティバルの際には、電飾された船のパレードを見に多くの人がネイビーピアを訪れる。1979年、アメリカ合衆国国家歴史登録財に登録。
「上からのネイビー・ピア」・wikipedia-photo、「レイク・ポイント・タワー(Lake Point Tower)から眺めるネイビー・ピア」・wikipedia-photo、「シカゴ川越しに見るネイビー・ピア」・wikipedia-photo、「ネイビー・ピアからダウンタウン方向の眺め」・wikipedia-photo、「ネイビー・ピアとシカゴのビル群」・wikipedia-photo、「薄暮のネイビー・ピア」・wikipedia-photo、「残雪のネイビー・ピア」・wikipedia-photo、観覧車・wikipedia-photo、「グランド・ボールルーム」・wikipedia-photo、「トランプ・タワーから見るネイビー・ピアの花火」・wikipedia-photo、遊覧船からの眺望・wikipedia-photo  (wikipedia・ネイビー・ピアより)]

海軍埠頭 – Google Map 画像リンク

ネイビー・ピアの鳥瞰カメラです。

カメラ東方向がネイビー・ピアです。

カメラ位置はネイビー・ピアの東端付近です。

ネイビー・ピア熱帯植物園のカメラです。

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