アスター・プレース(Astor Place)

マーカーはアスター・プレース(Astor Place)です。

アスター・プレース(Astor Place)
[アスター・プレースは、1783年にニューヨークにやってきたジョン・ジェイコブ・アスターの名をとった地名です。かつてアスター・プレース・オペラ・ハウスがあった交差点は4番街とラファイエット通りの交わる小さな広場で、ここにはトニー・ローゼンタイルの作品、「アラモ」があります。またブロードウェイと4番街の間の短い道路を「アスター・プレース」と呼んでいます。  (「ニューヨーク観光情報:観光名所・ランドマーク」より)]

ジョン・ジェイコブ・アスター
[アスターは、アメリカ独立戦争(1775年-1783年)が終わって間もない1784年3月にアメリカ合衆国に到着した。インディアンと毛皮の交易を行い、続いて1780年代遅くにニューヨーク市で毛皮商品の店を始めた。アスターは、1794年にイギリスとアメリカ合衆国の間で結ばれたジェイ条約によって、五大湖カナダの新しい市場が開けた利点を生かした。1800年までに25万ドル近くを蓄え、毛皮貿易では指導的存在の一人となった。1804年、アスターは第3代アメリカ合衆国大統領(1801年-1809年)・トーマス・ジェファーソンの副大統領であったアーロン・バーからマンハッタンの資産を99年間借用という条件で購入した。1848年にアスターが死んだ時にはアメリカ合衆国で最もリッチな人物となっており、少なくとも2,000万ドルと見積もられる資産を遺した。その遺志でニューヨーク市の大衆のためにアスター図書館を建てる費用として40万ドルを遺贈した(後にニューヨーク公共図書館に統合された)。  (wikipedia・ジョン・ジェイコブ・アスターより)]

[アスター・プレイス(Astor Place)に設置されているアラモ・キューブ (Alamo (sculpture))は、記念碑的なパブリックアート彫刻を作成することで最も有名なアメリカの抽象 彫刻家トニー・ローゼンタール(Tony Rosenthal)の作品で、ニューヨーク市文化局が主催する「彫刻と環境」の一環として1967年に設置されたました。当時、6か月間展示する予定の25の一時的なアートインスタレーションの1つでした。しかし、地元住民はアラモを維持するために都市に申し立てを成功させました。それはイーストビレッジの人気のある待ち合わせ場所になりました。キューブは、中央の隠れた極を中心に回転します。重いキューブは回転するのに複数の人を必要とするため、友人や見知らぬ人が絆を結ぶ方法になりました。
2005年3月10日、公園局はメンテナンスのためにキューブを取り外しました。元のアーティストと協力者は、不足しているボルトを交換し、他のいくつかのマイナーな修理を行いました。2005年11月に、キューブは、まだ回転することができる黒いペンキの新しいコートで戻ってきました。
2015年10月、アスタープレイスの再開発のため、彫刻は木製の保護ボックスで覆われましたがニューヨーク市公園局の代表者によると、最終的には「修復と再塗装」のために、また「無害」に保つためにオフサイトに移されました。2016年11月1日、180,000ドルの再建と錆取りの後、彫刻はアスター・プレイスに戻りました。 2017年11月、グリニッジビレッジ歴史保存協会は、彫刻の設置50周年を祝いました。
アラモ・キューブ・wikipedia-photo]

The Cube – Google Map 画像リンク」「The Last Three – Google Map 画像リンク

カメラ位置はアスター・プレイス(Astor Place)で、カメラ東方向に再設置されたアラモ・キューブがあります。

画像は2018年6月で、カメラ東方向のザ・ラスト・スリー(The Last Three・キタシロサイ)は2018年、オーストラリアのデュオ・アーティスト、ギリーとマーク(Gillie and Marc)が、ニューヨーク市の中心部、アスタープレイスに設置した時の画像です。最初の設置に続いて、信じられないほどの高さ17フィートのインタラクティブなアートワークが、サイの保全に関する批判的な認識を高めるために、ブルックリンのダウンタウンにあるMetroTech Commonに移動しました。現在、テキサス州サンアントニオ動物園に住んでいます。  (「The Last Three – Gillie and Marc」より)]

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