オールドストーンハウス(J・J・バーン公園)

マーカーはオールドストーンハウス(J・J・バーン公園)です。

オールドストーンハウス(J・J・バーン公園)
[7月、ウィリアム・ハウ将軍の指揮するイギリス軍マンハッタンからは港を隔てて数マイル向こうのスタテン島に上陸し、そこで1ヵ月半の間緩りとニューヨーク湾の艦船から援軍を受け取り、総勢は32,000名になった。イギリス海軍がニューヨーク港への入り口を支配していたので、ジョージ・ワシントン将軍は市を守る難しさを察知した。マンハッタンが最初の目標になると考え、自軍の主力をそこへ移動させた。
8月22日、イギリス軍はスタテン島からナローズを隔てるロングアイランドの西端に上陸した。そこはマンハッタン島に渡るためのイースト川から南10マイル (16 km) 以上離れた位置だった。イギリス軍は5日間待機した後、ブルックリンのグアナハイツにいた大陸軍の守備隊を攻撃した。しかし、ハウはアメリカ軍に知られぬままに主力を大陸軍の後方に移動させ、その側面を衝いた。
西側の大陸軍の右翼では、ウィリアム・アレクサンダー将軍(スターリング卿)が依然としてグラントの部隊に対して戦線を保持していた。スターリングは4時間も踏ん張ったがこの時点でもイギリス軍が側面を衝いたことを知らず、イギリス軍が自軍の陣地を奪取できなかったので、この日の戦闘に勝ちつつあるとすら思っている者もいた。しかし、午前11時までにグラント隊は2,000名の海兵で補充されてスターリング隊の中央を攻撃した。スターリング隊はその左翼をドイツ人傭兵部隊にも攻撃されていた。スターリング隊は後退したが、この時にはその後方にもイギリス兵が迫っていた。残された逃走ルートは幅80ヤード (72 m) の湿地とクリークを越えていくものだけであり、その向こうがブルックリンハイツだった。スターリングはメリーランド連隊の250名を残し、他の全ての兵士にクリークを渡るよう命令した。メリーランド連隊の250名がイギリス軍を攻撃し、他の者が撤退する時間を稼いだ。スターリングは250名を率いてイギリス軍に対し6度の連続攻撃を行い、部隊が殲滅されるまで戦った。ワシントンが近くの丘からその光景を見ており、「おお神よ、何と勇敢な仲間をこの日に失わなければならないのか!」と言ったとされている。スターリングは残っていた兵士にどんな手段を使ってもブルックリンの戦線まで後退するよう命令した。兵士の何人かは銃火の下を泥に潜って湿地を渡ろうと努め、泳げない者は捕虜になった。スターリングは降伏を考え、イギリス軍には降伏したくなかったので、その戦線を突き破ってフォン・ハイスターの率いるドイツ人傭兵部隊の所まで行き、そこで降伏した。
※オールドストーンハウス:メリーランドの部隊が時間を稼いだ場所にあるこの家は1699年に建設されたものを再建したものであり、現在は戦闘の博物館として使われている。ブルックリンの3番通りと5番アベニューの角、J・J・バーン公園にあり、ミニチュア模型や地図を展示している。
「ロングアイランドの戦い、1858年アロンソ・チャペル画。スターリングは250名の兵士と共に攻撃を指揮し、その間に他の者は湿地を泳いで逃げた。」・wikipedia-photo  (wikipedia・ロングアイランドの戦いより)]

Old Stone House of Brooklyn – Google Map 画像リンク

カメラ位置はJ・J・バーン公園で、カメラ南西方向がオールドストーンハウスです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*