スターリング砦

マーカーはフォート・スターリング・パークです。

スターリング砦(フォート・スターリング・パーク、Fort Stirling Park)
[ロングアイランドの戦い(英: Battle of Long Island、別名ブルックリンの戦い英: Battle of Brooklynまたはブルックリンハイツの戦い英: Battle of Brooklyn Heights)は1776年8月22日から同年8月30日にかけて(会戦は8月27日)、現在のニューヨーク市ブルックリンを主戦場にして戦われた、アメリカ独立戦争の主要な戦闘のひとつであり、この戦争の中では最大の会戦である。アメリカ独立宣言から1ヶ月余り後のことであり、独立国アメリカ合衆国の軍隊が戦った初めての戦闘となった。
ボストン包囲戦の後、1776年3月17日にイギリス軍ボストンから追い出した大陸軍総指揮官のジョージ・ワシントン将軍は、当時マンハッタン島の南端部でしかなかったニューヨーク市を守るために軍を移動させた。ワシントンはそこに防御陣地を敷き、イギリス軍が攻撃してくるのを待った。
ワシントンは5月初旬に部隊をロングアイランドに動かし始めた。短期間のうちにロングアイランドには数千名の兵士が駐屯していた。ブルックリンの小集落の西にあるスターリング砦を支えるために、その東には3つの砦が建設中だった。この3つの砦はパットナム砦(ルーファス・パットナム将軍に因む)、グリーン砦(ナサニエル・グリーン将軍に因む)およびボックス砦(ダニエル・ボックス少佐に因む)と名付けられた。パットナム砦が一番北で、グリーン砦はそのやや南西、さらにボックス砦が一番南西側だった。当時デファイアンス砦も構築中であり、ボックス砦のさらに南西、今日のレッドフックに近かった。これらの新しい砦に加えて、ガバナーズ島には砲台が建設され、マンハッタン島の南端にあったジョージ砦には大砲が据えられ、イースト川沿いのホワイトホール・ドックにも大砲が置かれた。イースト川やその他水路にイギリス軍が入ってくることを防ぐために戦略的な要所には廃船が沈められた。
7月、ウィリアム・ハウ将軍の指揮するイギリス軍はマンハッタンからは港を隔てて数マイル向こうのスタテン島に上陸し、そこで1ヵ月半の間緩りとニューヨーク湾の艦船から援軍を受け取り、総勢は32,000名になった。イギリス海軍がニューヨーク港への入り口を支配していたので、ワシントンは市を守る難しさを察知した。マンハッタンが最初の目標になると考え、自軍の主力をそこへ移動させた。
8月22日、イギリス軍はスタテン島からナローズを隔てるロングアイランドの西端に上陸した。そこはマンハッタン島に渡るためのイースト川から南10マイル (16 km) 以上離れた位置だった。イギリス軍は5日間待機した後、ブルックリンのグアナハイツにいた大陸軍の守備隊を攻撃した。しかし、ハウはアメリカ軍に知られぬままに主力を大陸軍の後方に移動させ、その側面を衝いた。大陸軍は恐慌に陥ったが、メリーランドの兵士250名が抵抗して部隊の大半が捕獲されるのを妨げることができた。部隊の他の者はブルックリンハイツで守る主力部隊の所へ逃げた。イギリス軍は包囲戦に備えて塹壕を掘ったが、ワシントンは29日から30日に掛けての夜に全軍をマンハッタン島に移動させ、しかも如何なる物資も1人の生命も失わなかった。このあとワシントンとその大陸軍は幾度か敗北してニューヨーク市から完全に追い出され、ニュージャージーを越えてペンシルベニアまでの退却を余儀なくされた。
イギリス軍はニューヨーク市を占領し、パリ条約の翌年(1784年)にイギリス軍が明け渡すまで、ニューヨーク市とロングアイランドの主要部分はイギリス軍の支配下となった。  (wikipedia・ロングアイランドの戦いより)]

Fort Stirling Park – Google Map 画像リンク

コロンビア・ハイツ/クラーク・ストリートで、カメラ西北西方向がフォート・スターリング・パークです。この付近がスターリング砦でした。

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