ニューヨーク近代美術館

マーカーはニューヨーク近代美術館です。

[グーグル・アート・プロジェクトは、グーグル社のストリートビュー技術をそのまま美術館内部にまで持ち込み隅々まで撮影し、web上で公開しています。]

ニューヨーク近代美術館(英語:Museum of Modern Art)
[ニューヨーク近代美術館は、アメリカ合衆国ニューヨーク市にある、近現代美術専門の美術館である。マンハッタンのミッドタウン53丁目に位置し、1920年代から「ザ・モダン」と呼ばれたモダンアートの殿堂。1939年に現在の建物の最古の部分が竣工している。エドワード・D・ストーンとフィリップ・S・グッドウィンの設計になる建物で、箱形の外観、平滑な壁面、大きなガラス面など、「国際様式(インターナショナル・スタイル)」建築の典型である。第二次世界大戦後、1951年と1964年の2度にわたって、フィリップ・ジョンソンによって鉄骨とガラスによるイースト・ウィングの増築が施され、彫刻庭園が増設された。さらに1983年にはシーザー・ペリによってガラスのエスカレーターが印象的なガーデン・ウィングが増設され展示面積は二倍になった。同美術館は展示スペースのさらなる増加と、増築によって複雑化した全体の整理をめざして、国際建築コンペを行い丸亀市猪熊弦一郎現代美術館豊田市美術館などで知られる日本人建築家・谷口吉生の設計案を選んだ。建築総工費900億円を掛け増築され2004年11月20日に再オープンし、これにより展示面積は1万2500平方メートルになった。
「彫刻庭園をはさみ、谷口吉生設計の新館を見る」・wikipedia-photo  (wikipedia・ニューヨーク近代美術館より)]

ニューヨーク近代美術館ホームページ

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カメラ北北東方向がニューヨーク近代美術館です。

クロード・モネ作『睡蓮』(1914 – 26年)(wikipedia-photo)

パブロ・ピカソ作『アビニヨンの娘たち(Les Demoiselles d’Avignon)』(1907年)(wikipedia-photo)

[『アビニヨンの娘たち』(仏: Les Demoiselles d’Avignon)は、1907年にパブロ・ピカソがアフリカ彫刻に興味を持ち描いた絵画作品。
これが後に起こる「キュビスム革命」の発端となった。「アビニヨンの女たち」ともいう。描かれた当時のバルセロナのアビニョ通り(carrer d’Avinyó)には売春宿があり、そこの売春婦たち5人を描いたものである。 (wikipedia・アビニヨンの娘たちより)]

アンリ・ルソー作『眠るジプシー女』(1897年)(wikipedia-photo)

[ルソーが故郷の町ラバルに作品を寄贈しようとしたとき彼はこれが風俗画であるとしながら次のように解説した。「マンドリンを弾きながら放浪する黒人女が傍らに壷を置き、疲れ果てて深い眠りについている。1匹のライオンがさまよって来て彼女を見つけるが、食い付かない。月明かりの効果でとても詩的な雰囲気になっている。そしてこの情景はまったく不毛な砂漠で起きているのだ。ジプシーは中近東風の衣装を身に着けている。 」しかし、寄贈は失敗してしまう。町の幹部は当時の一般的な感覚で彼の作品を見ていたためである。当時、ルソーの作品を評価していたのは少数の批評家や画家のみであった。  (wikipedia・眠るジプシー女より)]

フィンセント・ファン・ゴッホ作『郵便配達人ジョゼフ・ルーラン』(1889年4月)(wikipedia-photo)

[ゴッホはフランスのアルルで近所に暮らしていたルーラン一家をモデルにして複数のポートレイトを描いている。夫人を描いたものに『ルーラン夫人ゆりかごを揺らす女』がある。
モデルとなったジョゼフ=エティエンヌ・ルーラン(1841年4月4日 – 1903年9月)について、ゴッホは手紙で郵便配達人としているが、実際には駅の郵便物取扱係であった。
ゴッホはルーランをモデルにした絵を6点残しており、そのうち1889年4月に描かれた胸像の背景に花を散りばめた3点については、モデルとなったルーランが仕事の都合で同年1月にマルセイユに移住していることから、以前に描かれた同じ構図の2点を模写したものと考えられている。  (wikipedia・郵便配達人ジョゼフ・ルーランより)]

ファン・ゴッホ作『オリーブの木々、背景にアルピーユ山脈(The Olive Trees)』(1889年6月)(wikipedia-photo)

ニューヨーク近代美術館の永久コレクション、ファン・ゴッホ作『星月夜』(1889年6月)(wikipedia-photo)

(最大画像へリンク)
[1889年5月8日、ファン・ゴッホは、サル牧師に伴われ、アルルから20キロ余り北東にあるサン=レミのサン=ポール=ド=モーゾール修道院(Monastère Saint-Paul-de-Mausole)療養所に入所した。ファン・ゴッホは、療養所の一室を画室として使う許可を得て、療養所の庭でイチハツの群生やアイリスを描いた。また、病室の鉄格子の窓の下の麦畑や、アルピーユ山脈の山裾の斜面を描いた。6月に入ると、病室の外に出てオリーブ畑や糸杉を描くようになった。同じ6月、アルピーユの山並みの上に輝く星々と三日月に、S字状にうねる雲を描いた『星月夜』を制作した。
ファン・ゴッホの病状は改善しつつあったが、アルルへ作品を取りに行き、戻って間もなくの同年(1889年)7月半ば、再び発作が起きた。8月22日、ファン・ゴッホは「もう再発することはあるまいと思い始めた発作がまた起きたので苦悩は深い。……何日かの間、アルルの時と同様、完全に自失状態だった。……今度の発作は野外で風の吹く日、絵を描いている最中に起きた。」と書いている。9月初めには意識は清明に戻り、自画像、『麦刈る男』、看護主任トラビュックの胸像、ドラクロワの『ピエタ』の石版複製を手がかりにした油彩画などを描いた。また、ミレーの『野良仕事』の連作を模写した。ファン・ゴッホは、模写の仕事を、音楽家がベートーヴェンを解釈するのになぞらえている。以降、12月まで、ミレーの模写のほか『石切場の入口』、『渓谷』、『病院の庭の松』、『オリーブ畑』、サン=レミの『プラタナス並木通りの道路工事』などを描いた。  (wikipedia・フィンセント・ファン・ゴッホ#サン=レミ(1889年5月-1890年5月)より)]

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