旧マサチューセッツ州会議事堂

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旧マサチューセッツ州会議事堂
[旧マサチューセッツ州会議事堂(英:Old State House)は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストンにある、同州の旧議事堂である。ワシントン・ストリートとステート・ストリートの交差点に位置する。1713年に建築され、ボストンで最も歴史のある公共の建物であり、また新世界の中で選挙により選ばれた議会の議事堂としても初めてのものである。現在、ボストンの歴史学協会であるボストニアン・ソサエティが運営している。ボストンのウォーキングルート、フリーダムトレイルが通る観光スポットの一つとなっている。
現在のブロック造りの旧州議事堂は、1712年から1713年にかけて建設されたもので、ロバート・トウェルヴズによって設計されたものではないかと考えられている。その前には1657年に建てられた木造の役場があったが、1711年に火事で焼けてしまった。旧州議事堂の建物には、何度か改築・修復工事が加えられている。1747年火事に遭った後、1748年に再建された。1830年、アイザイア・ロジャーズによる改築が行われた。1832年には再び火事で損傷し、1881年から1882年にかけてジョージ・A・クラフによって修復工事が行われた。1904年以降、地下鉄がこの建物の地下の一部を通っている。1907年にはジョセフ・エバレット・チャンドラーによって再び修復工事が行われた。1990年にはグッディ・クランシー・アンド・アソシエイツによって更なる修復工事が行われた。修復工事の際、地下鉄工事の時に取り付けられた支えのパッキン材がさびついており、そのために煉瓦の壁にひび割れが生じているのが分かった。もともと、この建物には1階に商人の取引所、地下室に倉庫が設けられていた。2階の東側には総督の会議室、西の端にはサフォーク郡_(マサチューセッツ州)裁判所及びマサチューセッツ邦最高裁判所の裁判官室が置かれていた。2階中央には選挙で選ばれたマサチューセッツ邦議会の議場が置かれた。1761年、弁護士のジェイムズ・オーティスが、総督会議室で、援助令状(関税徴収に関する捜査協力令状)の発付に対し反駁する弁論を行った。オーティスは敗訴したものの、その弁論はアメリカ独立戦争へつながっていく一つの出来事となった。1770年3月5日、5人の植民地人がイギリス兵によって殺されるボストン虐殺事件が、この建物の東側すぐの場所で起きた。1776年7月18日、アメリカ独立宣言が、トーマス・クラフツ大佐(自由の息子達の1人)によって、この建物の東側バルコニーから、沸き立つ群衆に対して読み上げられた。アメリカ独立戦争の後、この建物はマサチューセッツ州政府が1798年に現在のマサチューセッツ州会議事堂へ移転するまで、州会議事堂として使われた。1830年から1841年まではボストンの市役所として用いられ、その後商用に転換された。1881年、開発の中で取り壊される可能性が出てきたことから、建物を保存し、管理するためにボストニアン・ソサエティが組織された。その後、植民地時代の外観へと復元工事が行われた。
旧州議事堂の西側正面(2003年7月ころ)・wikipedia-photo、「独立宣言書が読み上げられたバルコニーのある東側正面。屋根のユニコーンとライオンは、イギリスの紋章に使われているシンボルである。」・wikipedia-photo、旧州会議事堂の内部・wikipedia-photo、ボストン虐殺事件・wikipedia-photo  (wikipedia・旧マサチューセッツ州会議事堂より)]

旧マサチューセッツ州会議事堂 – Google Map 画像リンク

カメラ東南東方向が旧マサチューセッツ州会議事堂です。

カメラ西南西方向が旧マサチューセッツ州会議事堂です。

旧マサチューセッツ州会議事堂内のカメラです。

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