マーカーはノートン・サイモン美術館です。
ノートン・サイモン美術館(英語:Norton Simon Museum)
[ノートン・サイモン美術館 (The Norton Simon Museum) は、アメリカ合衆国・カリフォルニア州パサデナにある美術館。かつてはパサデナ美術館という名称だったこともある。アメリカ人実業家ノートン・サイモン(1907年2月5日-1993年6月1日)の個人的コレクションを基にして開設された。チベット、ネパール、カンボジア等の南アジアの絵画、彫刻、タペストリーの他、19世紀印象派を中心とする西欧絵画を所蔵する。
アジアの芸術
インド、パキスタン、ネパール、チベット、カンボジア、タイ、更にアフガニスタンやビルマ、バングラデシュ、中国、インドネシア、スリランカ、ベトナム、日本から集められた芸術品が展示されている。特にクシャーナ朝やグプタ朝時代に作られた石の彫刻やチョーラ朝のブロンズの像など、インド亜大陸の品が充実している。その他にもタンカやチベットやネパールの仏教画などもある。また、以前はフランク・ロイド・ライトのものであった日本の木版印刷も多く収蔵している。
ヨーロッパの芸術: 14世紀-16世紀
初期ルネサンス、盛期ルネサンスからマニエリスムまで14世紀から16世紀の芸術品を収蔵している。その中にはパオロ・ヴェネツィアーノやジョヴァンニ・ディ・パオロの作品、グァリエント・ディ・アルポの祭壇画が含まれる。他にはヤコポ・バッサーノ、サンドロ・ボッティチェッリ、フィリピーノ・リッピ、ラファエロ・サンティ、ルーカス・クラーナハ、ハンス・メムリンクの作品もある。ジョルジョーネやジョヴァンニ・ベッリーニ、エル・グレコの肖像画も所蔵している。
ヨーロッパの芸術: 17世紀-18世紀
バロック時代の作品としてはグイド・レーニ、グエルチーノ、バルトロメ・エステバン・ムリーリョ、フランシスコ・デ・スルバラン等がある。また、ピーテル・パウル・ルーベンスの作品も収蔵している。オランダ絵画からはレンブラント・ファン・レイン、フランドルやドイツからは静物画等、フランスからはクロード・ロランやニコラ・プッサン、アントワーヌ・ヴァトー、ジャン・オノレ・フラゴナール、フランソワ・ブーシェなどがある。ローマやヴェネツィアからはピエトロ・ロンギ、ジョバンニ・パオロ・パンニーニ、フランチェスコ・グアルディ、カナレット、ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ等の作品がある。
ヨーロッパの芸術: 19世紀
ドミニク・アングルやフランシスコ・デ・ゴヤ等の作品が19世紀のコレクションを形作っている。ジャン=バティスト・カミーユ・コロー、ギュスターヴ・クールベ、エドゥアール・マネといった写実主義の作品、クロード・モネ、ピエール・オーギュスト・ルノワール、エドガー・ドガ、フィンセント・ファン・ゴッホ、ポール・セザンヌ、ポール・ゴーギャンといった印象派やポスト印象派の作品も所蔵している。他にはオーギュスト・ロダンのブロンズの彫刻が美術館の前庭に展示されている。また、エドゥアール・ヴュイヤールやピエール・ボナールの作品も収蔵している。
モダン・アート
ジョルジュ・ブラック、アンリ・マティス、ディエゴ・リベラ等である。また青騎士のメンバーであったパウル・クレーやリオネル・ファイニンガー、アレクセイ・フォン・ヤウレンスキー、ワシリー・カンディンスキーの作品もある。
コンテンポラリー・アート
近代美術と現代美術の作品に関してはパサデナ美術館のコレクションを引き継いでいる。その中にはロバート・ラウシェンバーグ、ルイーズ・ネヴェルソン、ジョゼフ・コーネル、エドワード・キーンホルツ等が含まれる。ポップ・アートやミニマル・アートからはロイ・リキテンスタイン、アンディ・ウォーホル、ドナルド・ジャッド、ロバート・アーウィンの作品が収蔵されている。リチャード・ディーベンコーンやサム・フランシス、エド・ルシェ、ケネス・プライスといった1950年代から1970年代のカリフォルニア・アートのコレクションも充実している。
彫刻
彫刻の分野ではアリスティド・マイヨールやヘンリー・ムーア、コンスタンティン・ブランクーシ、バーバラ・ヘップワース、イサム・ノグチの彫刻が展示されている。
ギャラリー
「ノートン・サイモン美術館」・wikipedia-photo
「『聖セシリア』 グイド・レーニ」・wikipedia-photo、「『ダヴィデとゴリアテ』(1616頃) ピーテル・パウル・ルーベンス」・wikipedia-photo、「『レモンとオレンジと薔薇』(1633) フランシスコ・デ・スルバラン」・wikipedia-photo、「『自画像』(1636-38) レンブラント・ファン・レイン」・wikipedia-photo、「『マネ夫人の肖像』(1866) エドゥアール・マネ」・wikipedia-photo、「『ポン・デザール・パリ』(1867) ピエール=オーギュスト・ルノワール」・wikipedia-photo、「『ヴェトイユの画家の庭』(1881頃) クロード・モネ」・wikipedia-photo、「『フォーレ邸の庭の赤毛の女』(1887頃) アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック」・wikipedia-photo、「『パシアンス・エスカリエの肖像』(1888) フィンセント・ファン・ゴッホ」・wikipedia-photo、「『花瓶のチューリップ』(1890-92) ポール・セザンヌ」・wikipedia-photo、「『タヒチの女と少年』(1899) ポール・ゴーギャン」・wikipedia-photo (wikipedia・ノートン・サイモン美術館より)]
「ノートン・サイモン美術館ホームページ」
ノートン・サイモン美術館平面図(拡大図)
「ノートン・サイモン美術館 – Google Map 画像リンク」「Public Art “The Burghers of Calais” – Google Map 画像リンク」「Public Art “The Thinker” – Google Map 画像リンク」
カメラ北西方向がノートン・サイモン美術館です。
カメラ北方向がノートン・サイモン美術館です。
ノートン・サイモン美術館展示ルームのカメラです。
カメラ初期設定方向中央、フィンセント・ファン・ゴッホ作『パシアンス・エスカリエの肖像』(制作 1888年8月)、カメラ南東方向角右、ポール・ゴーギャン作『タヒチの女と少年』(制作 1899年)
(ノートンサイモン美術館のヴィンセントヴァンゴッホによる絵画)
[モデルとなったパシアンス・エスカリエはアルル近郊の農夫である。彼をモデルにした絵は複数が認められている。]
[ファン・ゴッホは、1888年2月20日、弟テオのアパルトマンを去って南フランスのアルルに到着し、オテル=レストラン・カレルに宿をとった。同年(1888年)5月からは、宿から高い支払を要求されたことを機に、ラマルティーヌ広場に面した黄色い外壁で2階建ての建物(「黄色い家」)の東半分、小部屋付きの2つの部屋を借り、画室として使い始めた(ベッドなどの家具がなかったため、9月までは3軒隣の「カフェ・ドゥ・ラ・ガール」の一室に寝泊まりしていた)。ポン=タヴァンにいるポール・ゴーギャンが経済的苦境にあることを知ると、2人でこの家で自炊生活をすればテオからの送金でやり繰りできるという提案を、テオとゴーギャン宛に書き送っている。5月30日頃、地中海に面したサント=マリー=ド=ラ=メールの海岸に旅して、海の変幻極まりない色に感動し、砂浜の漁船などを描いた。6月、アルルに戻ると、炎天下、蚊やミストラル(北風)と戦いながら、毎日のように外に出てクロー平野の麦畑や、修道院の廃墟があるモンマジュールの丘、黄色い家の南に広がるラマルティーヌ広場を素描し、雨の日にはズアーブ兵(アルジェリア植民地兵)をモデルにした絵を描いた。6月初めにはクリスチャン・ムーリエ=ペーターセン(Christian Mourier-Petersen)が帰国してしまい、寂しさを味わったファン・ゴッホは、ポン=タヴァンにいるゴーギャンとエミール・ベルナールとの間でさかんに手紙のやり取りをした。
7月、アルルの少女をモデルに描いた肖像画に、ピエール・ロティの『お菊さん』を読んで知った日本語を使って『ラ・ムスメ』という題を付けた同月、郵便配達人ジョゼフ・ルーランの肖像を描いた。8月、彼はベルナールに画室を6点のひまわりの絵で飾る構想を伝え、『ひまわり』を4作続けて制作した。9月初旬、寝泊まりしていたカフェ・ドゥ・ラ・ガールを描いた『夜のカフェ』を、3晩の徹夜で制作した。この店は酔客が集まって夜を明かす居酒屋であり、ファン・ゴッホは手紙の中で「『夜のカフェ』の絵で、僕はカフェとは人がとかく身を持ち崩し、狂った人となり、罪を犯すようになりやすい所だということを表現しようと努めた。」と書いている。 (「wikipedia・フィンセント・ファン・ゴッホ#ゴーギャン到着までより)]
カメラ初期設定方向中央、レンブラント・ファン・レイン作『自画像』(制作 1640年)(wikipedia-photo)、その左『自画像』(制作 1636-38年)
ノートン・サイモン美術館庭園のカメラです。