マーカーはゲティ・ヴィラです。
ゲティ・ヴィラ(英語:Getty Villa)
[1954年に石油王ジャン・ポール・ゲティは自身の邸宅に隣接した土地に最初のギャラリーを建てた。間もなく収蔵スペースが足りないことが判明し、ゲティは邸宅から丘を下った私有地に2番目のギャラリーを建設している。これが現在のゲティ・ヴィラである。ヴィラのデザインは、イタリアのエルコラーノにある古代ローマの遺跡ヴィラ・デイ・パピリ (Villa of the Papyri) を模しており、その他の古代遺跡からの影響も受けている。ゲティ・ヴィラは1974年に開館したが、1976年に死去したゲティは結局一度もこの場所を訪れることがなかった。ゲティの死後661,000万ドルの遺産を受け継いだゲティ財団は、ロサンゼルスのブレンウッド近郊にあるゲティ・センターの構内を拡張する計画を開始し、拡張計画に対する周辺住民からの反対を押し切って工事を開始した[8]。しかし、財団が所蔵する膨大なコレクションを所蔵するスペースを確保するために美術館を2箇所に分散することが決められ、ゲティ・ヴィラには「古代ギリシア、古代ローマ、エトルリア」の古代美術品を収蔵することとなった。その後1993年にゲティ財団はゲティ・ヴィラを改築することとし、ロドルフォ・マチャドとホルヘ・シルヴェッティにギャラリーと構内のデザインを依頼している。1997年にはゲティ・ヴィラのコレクションの一部がゲティ・センターに移管され、ゲティ・ヴィラは改築のためにいったん閉館した。ゲティ・ヴィラのコレクションの中にはこの閉館期間を利用して修復された美術品もあった。
2004年の初めにJ・ポール・ゲティ美術館はカリフォルニア大学ロサンゼルス校と共同で、中東美術品の保護に関する研究会をトルコで開催している。
修復が完了したゲティ・ヴィラは2006年1月28日に再開館し、古代ローマ風の庭園に囲まれた、同じく古代ローマ風のギャラリーには元通り古代ギリシア・ローマ、エルトリアの古代美術品が収蔵されている。収蔵美術品は「神と女神」、「ディオニュソスと劇場」、「トロイア戦争」などといったテーマ別に分類されている。
ボストンの建築家マチャドとシルヴェッティによるゲティ・ヴィラのデザインは、建築・インテリア専門月刊誌『アークテクチャル・レコード (:Architectural Record)』に「芸術界特有の気取りを感じさせない、ほとんど奇跡」「優れた力量」「全く異なる場所、時代の面影が洗練された建物、広場、風景の調和によって表現されている」などと評価されている。
古代遺跡の影響が見受けられるゲティ・ヴィラのエントランス・wikipedia-photo、「ゲティ・ヴィラ」・wikipedia-photo
ギャラリー
「紀元前510年ごろのアンフォラ」・wikipedia-photo、「紀元50年ごろのローマの女性大理石像」・wikipedia-photo、 (wikipedia・J・ポール・ゲティ美術館より)]
ゲティ・ヴィラ平面図
ゲティ・ヴィラ・テラス広場のカメラです。
ゲティ・ヴィラ広場のカメラです。
ゲティ・ヴィラ展示ホールのカメラです。
カメラ位置はゲティ・ヴィラの中庭です。
カメラ位置はゲティ・ヴィラの庭園です。