マーカーはヴィアダクト・ハーバーです。
ヴィアダクト・ハーバー(英語:Viaduct Harbour)
[ヴィアダクト・ハーバーは、2000年、2003年のアメリカスカップの舞台となった。
1995年にアメリカ合衆国サンディエゴで開催された第29回アメリカスカップで、ニュージーランドのロイヤル・ニュージーランド・ヨット・スコードロン(Royal New Zealand Yacht Squadron)から出場したラッセル・クーツ率いるチーム・ニュージーランドが、サンディエゴ・ヨットクラブ(San Diego Yacht Club)から出場したチーム・デニス・コナーを破って、カップは再び南半球に渡ることとなた。チーム・ニュージーランドはオークランドで開催された2000年の第30回大会においてイタリアのヨットクラブ・イタリアーノ(Yacht Club Italiano)から出場したプラダ・チャレンジの挑戦を退けカップ防衛に成功する。アメリカスカップの連覇に成功したスキッパーのラッセル・クーツはニュージーランドの国民的英雄となるが、一方でチームは慢性的な資金不足に陥っており、クーツはタクティシャン(参謀)であるブラッド・バタワースら主要メンバーを引き連れスイスのチーム・アリンギに移籍してしまう。チームの核を失ったニュージーランドは、カップ奪回を目指すアメリカ系チーム等にその他の選手も引き抜かれ崩壊状態となってしまうが、その一方で各国チームの主要ポジションにニュージーランド選手が就くという結果にもなった。チーム・ニュージーランドはトム・シュナッケンバーグが代表に就任、クーツの控えであったディーン・バーカーを新たなスキッパーに据える等、若手を中心としたチーム再建をはかった。そして迎えた2003年の第31回大会、スイスのソシエテ・ノーティーク・ドゥ・ジュネーブ(Societe Nautique de Geneve:SNG)から出場したチーム・アリンギは順調に挑戦者決定戦を勝ち上がり、チーム・ニュージーランドと対戦することとなった。しかし前述のごとくアリンギの中心メンバーもニュージーランド勢であり、実質的に新旧ニュージーランド代表の対戦という様相となった。その結果アリンギは圧倒的な強さでチーム・ニュージーランドを破り、カップは史上初めてヨーロッパ大陸へ渡ることとなった。またクーツはカップ3連勝となり新たな”ミスター・アメリカスカップ”と呼ばれるに至った。]
「Viaduct Basin – Google Map 画像リンク」
カメラ北北西方向がヴィアダクト・ハーバーです。