マーカーはメトロポリタン美術館です。
[グーグル・アート・プロジェクトは、グーグル社のストリートビュー技術をそのまま美術館内部にまで持ち込み隅々まで撮影し、web上で公開しています。]
メトロポリタン美術館(英語:The Metropolitan Museum of Art)
[メトロポリタン美術館(略称:The Met)は、ニューヨーク市マンハッタンにある世界最大級の美術館。メトロポリタン美術館の設立構想は、1866年、パリで7月4日のアメリカ独立記念日を祝うために集まったアメリカ人たちの会合の席で提案された。この会合の参加者のひとりだったジョン・ジョンストンは、アメリカに国際的規模の美術館が存在しないことを憂い、メトロポリタン美術館の設立構想を訴えたが、この時点では美術館の建物はおろか、1点の絵画さえ所有していなかった。美術館は4年後の1870年に開館。基金による購入や、さまざまなコレクターからの寄贈によって収蔵品数は激増し、現在では絵画・彫刻・写真・工芸品ほか家具・楽器・装飾品など300万点の美術品を所蔵。全館を一日で巡るのは難しいほどの規模を誇る、世界最大級の美術館のひとつとなっている。メトロポリタンの特色は、そのコレクションの幅がきわめて広く、あらゆる時代、地域、文明、技法による作品を収集していることにある。そして最大の特色は、これだけの規模の美術館が、国立でも州立でも市立でもない、純然とした私立の美術館である点。入館料が美術館側の「希望額」として表示されているのも名物で、懐事情の苦しそうな美大生だと少々欠けても大目に見てくれたり、いかにも裕福そうな紳士淑女には気前の良さを期待していることが言外にほのめかされたりする。美術館の運営管理は理事会によって行われている。創立100周年の1970年から始まった大改修計画により、美術館の総床面積は倍増し、さらに充実した展示が可能となった。ミュージアムショップの充実ぶりも有名。関連書籍、ミニチュア、雑貨などはインターネットによる通信販売でも購入できる。
メトロポリタン美術館正面・wikipedia-photo、中央ロビー・wikipedia-photo
主な収蔵品
デンドゥール神殿(Temple of Dendur)古代エジプト(紀元前1世紀頃)・wikipedia-photo、ヴェロッキオ『聖母子像』(制作1470年)・wikipedia-photo、ヴェチェッリオ『ヴィーナスとリュート弾き』(制作1560年)・wikipedia-photo、グレコ『トレドの風景(View of Toledo)』(制作1597年)・wikipedia-photo、ラトゥール『女占い師』(制作1632–35年頃)・wikipedia-photo、フェルメール『水差しを持つ女(Woman with a Water Jug)』(制作1662–63年頃)・wikipedia-photo、尾形光琳『八橋図屏風』(制作1711–14年頃)・wikipedia-photo、鈴木其一『朝顔図屏風』(制作19世紀前半)・wikipedia-photo、シスレー『ガレンヌ村の橋(De brug in Villeneuve-la-Garenne)』(制作1839年)・wikipedia-photo、ターナー『ヴェネツィアの大運河』(制作1850年)・wikipedia-photo、アングル『ド・ブロリ公爵夫人』(制作1853年)・wikipedia-photo、チャーチ『アンデスの中心(The Heart of the Andes)』(制作1859年)・wikipedia-photo、モネ『サンタドレスの庭園(Garden at Sainte-Adresse)』(制作1866–67年)・wikipedia-photo、サージェント『マダムXの肖像(Portrait of Madame X)』(制作1884年)・wikipedia-photo、スーラ『サーカスの客寄せ』(制作1887–88年)・wikipedia-photo
ゴッホ『糸杉(Les Cyprès)』(制作1889年)・wikipedia-photo
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ゴーギャン『二人のタヒチの女(Two Tahitian Women)』(制作1889年)・wikipedia-photo、エイキンズ『考える人』(制作1900年)・wikipedia-photo (wikipedia・メトロポリタン美術館より)]
メトロポリタン美術館平面図(1階) – 「メトロポリタン美術館の完全ガイド!見どころ、料金、行き方 | プレ …」より
(2階)
「メトロポリタン美術館 – Google Map 画像リンク」「デンドゥール神殿(Temple of Dendur) – Google Map 画像リンク」
カメラ西北西方向がメトロポリタン美術館です。
メトロポリタン美術館グランドホールのカメラです。
メトロポリタン美術館エントランスホール二階回廊からのカメラです。
1階 – 中世美術(Medieval Art)ホールのカメラです。
1階 – ヨーロッパの彫刻と装飾芸術(Carroll and Milton Petrie European Sculpture Court)ホールのカメラです。
1階 – Arms and Armor(Emma and Georgina Bloomberg Arms and Armor Court)ホールのカメラです。
1階 – アメリカン・ウィング(The American Wing)ホールのカメラです。
1階 – エジプシャン・ギャラリー(Egyptian art)・デンドゥール神殿(Temple of Dendur)のカメラです。
1階 – ギリシャとローマの芸術(Greek and Roman Art)ホールのカメラです。
カメラ初期設定方向室角右グイド・レーニ『無原罪の御宿り(The Immaculate Conception)』(1627年)、その左側角右アルテミジア・ジェンティレスキ『エステルとアハシュエロス(Esther before Ahasuerus)』(1628–1635年)、反転壁出入口左中央ホセ・デ・リベーラ『聖アンナとアレクサンドリアのキャサリンの聖家族(The Holy Family with Saints Anne and Catherine of Alexandria)』(1648年)。
カメラ初期設定方向・室角左、ヨルグ・ブロイ・ザ・ヤンガー(Jörg Breu the Younger)『Joseph Interpreting the Dreams of Pharaoh』(1534-1547)、カメラ西方向壁中央、ルーカス・クラナッハ『Judgment of Paris』(1528年)
カメラ初期設定方向中央、レンブラント・ファン・レイン『自画像』(1660年)、その前に模写する女性がいます。左壁中央、フランス・ハルス『Merrymakers at Shrovetide』(1616–17年)、中央左、『Young Man and Woman in an Inn (“Yonker Ramp and His Sweetheart”)』(1623年)。
ピーテル・パウル・ルーベンス – 左端『ヴィーナスとアドニス』、右端『聖家族と聖フランシス、アン、幼子ヨハネ(The Holy Family with Saints Francis and Anne and the Infant Saint John the Baptist)』(1630年前半)。反転壁中央『エレーヌ・フールマンと息子を伴うルーベンス(Rubens, His Wife Helena Fourment (1614–1673), and Their Son Frans)』(1630年代)、左壁『狼と狐狩り(Wolf and Fox Hunt)』(1616年)ルーベンス&工房の生産作品(Rubens, van Dyck ? )、その左ヴァン・ダイク『肖像画』(1620-21年)
カメラ初期設定方向、室角左・アデライド・ラビーユ=ギアール『弟子2人といる自画像』(1785年)、その右二つ目・ジャン=バティスト・グルーズ『Study Head of a Woman』(1780年)
アントニオ・カノーヴァ作『アムールとプシュケ(エロスの接吻で目覚めるプシュケ)』(ルーヴル美術館所蔵)の右、フランソワ・ジェラール『Madame Charles Maurice de Talleyrand Périgord』(1804年)、右壁ジャック=ルイ・ダヴィッド『Antoine Laurent Lavoisier and His Wife (Marie Anne Pierrette Paulze)』(1788年)
エドゥアール・マネ、カメラ初期設定方向中央『庭のモネ一家』(1874年)、右壁出入口右『ボート遊び(En bateau)』(1874年)、その対面壁左端『The “Kearsarge” at Boulogne』(1864年)、中央はクロード・モネ作『サンタドレスの庭園』(1867年)。
「カテゴリー:メトロポリタン美術館のヴィンセント・ヴァン・ゴッホの絵画」+「暖炉の側の農婦」(1885年6月)(wikipedia-photo)+「花咲く果樹園」(1888年3月-4月)(wikipedia-photo)+「静物:花瓶のピンクのバラ」(1890年5月)(wikipedia-photo)
カメラ初期設定方向、フィンセント・ファン・ゴッホ『糸杉のある麦畑(Wheat Field with Cypresses)』(1889年6月末)、反転壁右ポール・ゴーギャン『The Siesta』
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(メトロポリタン美術館のヴィンセント・ヴァン・ゴッホの絵画)
ファン・ゴッホ作『歩き始め(ミレーを模して)」(1890年1月)(wikipedia-photo)
[1889年5月8日、ファン・ゴッホは、サル牧師に伴われ、アルルから20キロ余り北東にあるサン=レミのサン=ポール=ド=モーゾール修道院(Monastère Saint-Paul-de-Mausole)療養所に入所した。ファン・ゴッホは、療養所の一室を画室として使う許可を得て、療養所の庭でイチハツの群生やアイリスを描いた。また、病室の鉄格子の窓の下の麦畑や、アルピーユ山脈の山裾の斜面を描いた。6月に入ると、病室の外に出てオリーブ畑や糸杉を描くようになった。同じ6月、アルピーユの山並みの上に輝く星々と三日月に、S字状にうねる雲を描いた『星月夜』を制作した。
ファン・ゴッホの病状は改善しつつあったが、アルルへ作品を取りに行き、戻って間もなくの同年(1889年)7月半ば、再び発作が起きた。8月22日、ファン・ゴッホは「もう再発することはあるまいと思い始めた発作がまた起きたので苦悩は深い。……何日かの間、アルルの時と同様、完全に自失状態だった。……今度の発作は野外で風の吹く日、絵を描いている最中に起きた。」と書いている。9月初めには意識は清明に戻り、自画像、『麦刈る男』、看護主任トラビュックの胸像、ドラクロワの『ピエタ』の石版複製を手がかりにした油彩画などを描いた。また、ミレーの『野良仕事』の連作を模写した。ファン・ゴッホは、模写の仕事を、音楽家がベートーヴェンを解釈するのになぞらえている。以降、12月まで、ミレーの模写のほか『石切場の入口』、『渓谷』、『病院の庭の松』、『オリーブ畑』、サン=レミの『プラタナス並木通りの道路工事』などを描いた。 (wikipedia・フィンセント・ファン・ゴッホ#サン=レミ(1889年5月-1890年5月)より)]
ピーテル・ブリューゲル長老作『穀物の収穫』(1565年)(wikipedia-photo)
ヨハネス・フェルメール作『眠る女』
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ヨハネス・フェルメール作『水差しを持つ女』
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ヨハネス・フェルメール作『リュートを調弦する女』
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