アム・ホフ(王宮)広場

マーカーはアム・ホフ(王宮)広場『マリアの柱』です。

アム・ホフ(王宮)広場
[現在アム・ホフ(王宮)広場と呼ばれているこの場所にはその昔、バーベンベルク家ハインリッヒ二世(在位:1156年 – 1177年)によってショッテン教会と共に建設された王宮が建っていた。このハインリッヒ二世によりクロースターノイブルクからウィーンに遷都された後、、ウィーンはオーストリア領主の居城都市となり、アム・ホフ広場はそのウィーンの中心地となった。(右の写真(画像リンク)は広場での蚤の市の様子。中央の柱が『マリアの柱』。左から2番目の建物が元『武器庫』で、一番右の建物が王宮広場教会。)
この王宮がバーベンベルク家の居城であった期間はしかしかなり短い。ハインリッヒ二世の後を継いだレオポルド五世(在位:1177年 – 1194年)が新しい王宮 (Hofburg) の造営を開始し、間もなく居城は新しい王宮に移されてしまうからである。だが新王宮が完成するまでこの王宮はレオポルド五世、レオポルド六世(在位:1198年 – 1230年)治下オーストリア宮廷文化の中心として、多くの著名な詩人や貴族たちで賑わっていた。
7番地、メルクラインハウス 新王宮完成の後にはここにクレムスにあった造幣工場が移って来る。その後ハプスブルク家アルブレヒト三世(在位:1365年 – 1395年)はカルメル修道会にこの建物を下げ渡し、元の王宮は14世紀末から15世紀初頭にかけて建て直されて今度は教会(現在の王宮広場教会)として使用されるに至る。さらに16世紀半ば宗教改革によって空になってしまったこの教会(13番地)と修道院に(2番地)にイエズス会が入り、1773年に閉鎖された修道院に今度は軍事評議会が入る。1892年にはラデツキー記念碑も軍事評議会の建物の前に据えられるが、この軍事評議会とラデツキー記念碑は共に第一次世界大戦前にシュトゥーベンリンク (Stubenring) に国防省として移転してしまう。その後この由緒ある建物は取り壊され、現在は1915年に建設されたレンダー銀行 (Laenderbank) が建っている。  (「ウィーンの名所・旧王宮」より)]

カメラ位置はアム・ホフ(王宮)広場で、カメラ北東方向が『マリアの柱』です。『マリアの柱』右方向が王宮広場教会です。

カメラ北北東方向が元『武器庫』で、現在は消防署の本部です。

カメラ北東方向が元『武器庫』で、現在は消防署の本部です。