グラーベン (Graben)

マーカーはペスト記念柱です。

グラーベン (Graben)
[グラーベンとはドイツ語で堀を意味し、ローマ時代から中世にかけてこの地はその名の通りウィーンの外堀であった。だがバーベンベルク家レオポルド五世(在位:1177年 – 1194年)の時代にリチャード獅子心王(イングランド王・在位:1189年 – 1199年)の莫大な身代金が支払われると、ウィーン拡大のためにこの堀は埋め立てられる。
これ以後グラーベンはウィーンの商業の中心として栄え、中世にはここに多くの市が立っていた。だが近代に入るとこういったグラーベンの庶民的な要素は姿を消し、名門市民や貴族のための優雅で瀟洒な高級商業地区へと変わっていく。そのためここには主にアールヌーヴォー様式や分離派の建物が並んでいる。
ペスト記念柱 (Pestsaeule)または三位一体像柱 (Dreifaltigkeitssaeule)
ペスト記念柱 唯一ここでバロック様式のものが、グラーベン中央に位置する壮大な三位一体像柱、いわゆるペスト記念柱である。これは1679年にウィーンでペストが猛威を振るったため、当時の皇帝レオポルド一世(在位:1658年 – 1705年)がペストの終息を願って制作させたものである。この柱は1679年に木で作られ、後に現在の大理石造りの柱へと取り換えられる。
この制作に携わったのはラウフミラー (Matthias Rauchmiller) であったが、彼は1686年にトルコ軍がウィーンを包囲した際に亡くなってしまう。その後皇帝にペスト柱完成を命じられたのが皇室お抱えの建築家ブルナッチーニ (Ludovico Ottavio Brunachini) とエアラッハ (Bernhard Fischer von Erlach) であり、この二人の他にも多くの彫刻家や聖職者が柱の制作に携わった。  (「ウィーンの名所・グラーベン」より)]

グラーベン北端のカメラで、カメラ初期せって方向にヨーゼフの泉の像とペスト記念柱があります。

ヨーゼフの泉の像前のカメラ

ヨーゼフの泉の像とペスト記念柱の間のカメラです。

カメラ初期設定方向がペスト記念柱です。

グラーベン南端のカメラで、カメラ北北東方向にシュテファン大聖堂があります。