ホーアーマルクト

マーカーは婚姻の泉です。

ホーアーマルクト
[ウィーン最古の広場がこのホーアーマルクトで、中世中期ウィーンの中心地でもあった。名前のホーアーとはドイツ語で『高い (hoch)』を意味するが、ここでは『主要な市場 (Hauptmarkt)』的意味で使われている。この広場ではローマ時代の将校の家跡も発掘されており、ウィーンがまだヴィンドボナであった当時から存在していた広場であった。この場所は辺りで一番高い丘の上にあり、戦略的にも有利な地形であったためにローマ人はこの地を宿営地に選んだらしい。また167年にはローマ皇帝マルクス・アウレリウス(在位:161年 – 180年)自らこの地を訪れたという。そのためかどうか、ホーアーマルクト広場から北東に伸びている通りには、皇帝に因んでマーク・アウレル通り (Marc-Aurel-Strasse) という名がついている。
中世に入ってからもこの地はドナウ運河を利用した遠隔貿易の中心地としてさらに発展していった。だが残念ながら第二次世界大戦中にこの広場は大きく破壊されてしまい、その際に以前の町並みや雰囲気はほとんど失われてしまった。現在ここで目にすることのできる歴史的モニュメントは上述したローマ遺跡とアンカー時計、婚姻の泉くらいしかない。
アンカーホフとアンカー時計
アンカー時計 1912年から1914年にかけてアンカー保険会社のために建てられたのがこのアンカーホフ (Ankerhof) である。アンカーホフはホーアーマルクトの10-11番地と12番地にバウエルン市場 (Bauernmarkt) という小路を隔てて立っており、この二棟の建物は小路の上に架けられている空中回廊でつながっている。そしてこの回廊に設置してある時計がウィーンの有名な仕掛け時計アンカー時計である。
婚姻の泉 (Vermaehlungsbrunnen)
スペイン継承戦争(1701-1714)中にハプスブルク家レオポルド一世(在位:1658年 – 1705年)はイエス養父聖ヨーゼフを称え、聖人と同名の息子ヨーゼフ一世(在位:1705年 – 1711年)が戦に勝利して無事に帰還することを願ってこの泉を制作させた。1706年に宮廷建築家フィッシャー・フォン・エアラッハの設計に基づきまずは木製の記念碑が立てられた。さらにヨーゼフ一世が戦に勝ちウィーンへの帰還を果たすと、1729年から1732年にかけて多少変更を加えられた設計に基づき大理石造りの婚姻の泉が制作された。
コリント様式の柱に支えられたブロンズの天蓋の上には黄金の三位一体像が置かれている。その下にはちょうど婚姻を結んでいるマリアとヨーゼフと大司祭の像が立ち、さらにこれらの像を四体の天使像が囲んでいる。  (「ウィーンの名所・ホーアーマルクト」より)]

カメラ位置はホーアーマルクトで、カメラ西北西方向が婚姻の泉、カメラ東方向にアンカー時計があります。

アンカー時計前のカメラです。