ミノリート教会

マーカーはミノリート教会です。

ミノリート教会(英語:Minoritenkirche (Vienna)、ドイツ語:Minoritenkirche (Wien))
[この教会は1224年にバーベンベルク家レオポルド六世(在位:1198年 – 1230年)から招聘されたフランチェスコ会修道士たちによって、1250年頃修道院と共に建設された。教会の名前である『ミノリート』とはフランチェスコ会修道士を意味している。
1316年から1328年の間にゴシック様式内陣が建てられ、この初期部分は今日も教会中心部に一部残っている。18世紀後半には現在の東側部分、つまり住居部分と司祭館も建てられる。また同時期にこの教会はヨーゼフ二世(在位:1765年 – 1790年)の命によってイタリアの修道会に明け渡され、フランチェスコ修道会士たちはアルザー通り (Alser Strasse) に立つ三位一体修道院 (Trinitarierkloster) に移転する。以後ミノリート教会はウィーンにおけるイタリアの国家教会という役割も担うようになる。またこの移転の際にフランチェスコ修道会士たちは教会の別名でもあった有名なトレチェント様式の聖なる十字架 (Heiliges Kreuz) の絵を三位一体修道院に持って行ってしまい、ミノリート教会は秘蔵絵画を失ってしまう。しかもこの絵は1945年シュテファン寺院で焼失してしまい、今では残っていない。その後1957年よりこの教会は再びフランチェスコ修道会によって運営されている。  (「ウィーンの名所・ミノリート教会」より)]

ミノリート教会・wikipedia-photo

ミノリート教会内部・wikipedia-photo

ミノリート教会祭壇・wikipedia-photo

ウィキメディアコモンズには、ミノリート教会(ウィーン)の画像またはその他のファイルが含まれています。

ミノリーテン教会 – Google Map 画像リンク

カメラ西北方向がミノリート教会です。

ミノリート教会身廊のカメラです。

ミノリート教会祭壇前のカメラです。