王宮広場教会

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王宮広場教会(ドイツ語:Kirche am Hof (Wien))
[元々ここはバーベンベルク家の居城があったのだが、新王宮完成の後造幣工場がクレムスから移転し、一時は造幣工場でもあった。その後この建物はハプスブルク家アルブレヒト三世(在位:1365年 – 1395年)によってカルメル修道会に下げ渡され、1386年から1403年の間に教会が建設された。
王宮広場教会 しかし16世紀に宗教改革の嵐が吹き荒れると、カルメル修道士たちは教会を去ってしまう。そのためフェルディナント一世(在位:1521年 – 1564年)は1554年この建物を3年前にウィーンに呼び寄せていたイエズス会の修道士たちに与える。だが教会は1607年に火事で焼失してしまい、後にバロック様式の新しい教会が建てられた。
この教会の外観においてまず目につくのが、特徴的な建物前面のつくりである。建物の両翼部分はそのまま、真中の玄関ホール部分だけが後退し、後退することによってできた正面のスペースにはテラスが作られているのである。このテラスは今までに二度だけ使用されたことがある。一度目は1782年に教皇ピウス六世(在位:1775年 – 1799年)がここからイースターの祝福をウィーン市民に与え、二度目は皇帝フランツ二世(ローマ皇帝・在位:1792年 – 1806年、オーストリア皇帝・在位:1804年 – 1835年)が1807年神聖ローマ帝国の解体を宣言した。
教会内部の大祭壇の絵はウィーンで最も大きい祭壇画として知られているが、ここには18世紀末に描かれた『聖母マリアと9人の天使の合唱』の絵がかけられている。この絵が教会の別名『9人の天使の歌声に (Zu den neun Choeren der Engel) 』の由来である。また、昔の大祭壇画であった『マリア昇天』の絵は現在内陣右側の壁にかかっている。内陣の手前左右には聖母マリアの絵とキリストの磔刑像がある。また教会右側には手前から順に聖イグナチウス・ロヨラピウス十世、イエスの御心像と寡婦の守り神聖母マリアの絵がかかっている。左側には手前から、聖ヨハン・ネポムク聖ボナフィティウス、聖フランツの絵などが飾ってある。
この教会の外観はバランスのとれた美しさを保っているが、内部はあまり手入れがされていないらしく、古臭い様相を呈している。また採光状態もよくないため、個々の絵画や石像の詳細まで観察するのは難しい。
この教会は現在クロアチア・カトリックの伝道教会となっている。  (「王宮広場教会」より)]

王宮広場教会・wikipedia-photo

王宮広場教会身廊・wikipedia-photo

王宮広場教会内陣・wikipedia-photo

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Kirche am Hof – Google Map 画像リンク」「Katholische Kirche Zu den Neun Chören der Engel – Google Map 画像リンク

カメラ南東方向が王宮広場教会です。

王宮広場教会拝廊のカメラです。

王宮広場教会身廊のカメラです。

王宮広場教会翼廊のカメラです。

王宮広場教会内陣のカメラです。

教会アプスの高祭壇『聖母マリアと9人の天使の合唱』前のカメラです。