マーカーは美術史美術館です。
[Google アートプロジェクト] – 「美術史美術館」
美術史美術館(英語:Kunsthistorisches Museum、ドイツ語:Kunsthistorisches Museum)
[美術史美術館(独: Kunsthistorisches Museum)は、オーストリア・ウィーンにある美術館。美術史博物館とも呼ばれる。古代から19世紀に至るヨーロッパ各地の美術品を収蔵している。ウィーン自然史博物館と対になる施設として建てられ、1891年に開館。現在は組織上ウィーン大学の一部局である。
コレクションの起源はマクシミリアン1世まで遡ると言われ、以降、歴代君主の収集品が追加され、1659年には世界初の収蔵品の図版入りカタログも製作された。
美術館自体はフランツ・ヨーゼフ1世の命により、1872年から建設が始まった。建築にはゴットフリート・ゼンパーが1876年まで、その後を引き継いでカール・ハーゼナウア (Karl Hasenauer) が当たり、1881年に完成した(ウィーンの観光局資料によれば完工を1891年としている)。
2012年ごろ改装のために一時閉鎖されていたものの、2013年3月に再オープンした。
様式はネオ・ルネサンス様式。建物は主に3フロアから構成され、中間階(1階)に絵画が展示されている。1階の下に位置する0.5階では古代エジプト・古代ギリシア・古代ローマの彫刻等が展示され、上に位置する2階では貨幣コレクションが展示されるなど、博物館としての側面を持ち合わせている。展示室の数は50近い。美術館入り口の柱頭は0.5階からドーリア式、イオニア式、コリント式と並ぶ。
美術史美術館遠景・wikipedia-photo、美術史美術館正面外観・wikipedia-photo、美術史美術館正面ドア・wikipedia-photo、二階センターホール・wikipedia-photo、二階センターホール天井・wikipedia-photo、ドーム・wikipedia-photo、ドーム詳細・wikipedia-photo
主な収蔵品
中間階に展示されている絵画コレクションの核は、オーストリア、ドイツ、スペイン、イタリア、ベルギー、オランダの各地ハプスブルク家の領土において生み出された作品である。特にピーテル・ブリューゲルの作品数は世界最大であり、『子供の遊戯』『雪中の狩人』などの傑作が1室に集められている。ハプスブルク家の人物の肖像画も多数収められている。
アルブレヒト・デューラー 『ヴェネツィアの若い婦人』 (1505)・wikipedia-photo、ラファエロ・サンティ 『草原の聖母』(1506)・wikipedia-photo、ティツィアーノ・ヴェチェッリオ 『ヴィオランテ』(1515-1518頃)・wikipedia-photo、ティントレット『スザンナの水浴』(1550年代)・wikipedia-photo、ピーテル・ブリューゲル『子供の遊戯』(1560)・wikipedia-photo、ピーテル・ブリューゲル『バベルの塔』(1563)・wikipedia-photo、ジュゼッペ・アルチンボルド『夏』(1563)・wikipedia-photo、ピーテル・ブリューゲル『雪中の狩人』(1565)・wikipedia-photo、ピーテル・ブリューゲル『農民の婚宴』(1568)・wikipedia-photo、ピーテル・ブリューゲル『農民の踊り』(1568)・wikipedia-photo、ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ 『ゴリアテの首をもつダビデ』(1606-1607頃)・wikipedia-photo、ピーテル・パウル・ルーベンス 『毛皮をまとったエレーヌ・フールマン』(1638)・wikipedia-photo、ダフィット・テニールス 『レオポルト・ ウィルヘルム大公の画廊』(1651)・wikipedia-photo、グイド・カニャッチ(Guido Cagnacci) 『クレオパトラの死(瀕死のクレオパトラ)』(1658)・wikipedia-photo、ディエゴ・ベラスケス 『青いドレスのマルガリータ王女』(1659)・wikipedia-photo、ヨハネス・フェルメール 『絵画芸術』(1667)・wikipedia-photo (wikipedia・美術史美術館より)]
「美術史美術館ホームページ」 – 「ルーム案内図」
「ウィーン美術史美術館の必見作品30選と入場レポート! | TABI …」「ウィーン美術史美術館 観光情報 – 行き方、作品、館内マップ」
美術史美術館館内マップ
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カメラ南南東方向が美術史美術館です。
美術史美術館0階エントランスホールのストリートビューです。
1階ホール周辺とⅩⅤ、ⅩⅣ、ⅩⅢ、20室までのストリートビューです。
1階-ⅩⅤ室 – アルブレヒト・デューラー 『晩年のマクシミリアン1世』(1519年)
1階-ⅩⅣ室 – ピーテル・パウル・ルーベンス「聖イグナティウス・デ・ロヨラの奇蹟(The Miracles of St. Ignatius of Loyola, modello)」
1階-ⅩⅢ室 – ピーテル・パウル・ルーベンス 『自画像』(1633/1640)
1階-ⅩⅢ室 – ピーテル・パウル・ルーベンス 『毛皮をまとったエレーヌ・フールマン』(1638)
1階-ⅩⅢ室 – ピーテル・パウル・ルーベンス 『ヴィーナスの饗宴(The Feast of Venus (Rubens))』(1635年頃)
1階-20室 – 左 – ロヒール・ファン・デル・ウェイデン『三連祭壇画:磔(Triptych: The Crucifixion)』(1443/1445年)、右 – ハンス・メムリンク『小さな三連祭壇画:バプテスマの聖ヨハネ(Small Triptych of St. John the Baptist)』
1階-17室 – ヨハネス・フェルメール『絵画芸術』(1666/1668)
1階-Ⅹ室 – カメラ初期設定方向中央・ピーテル・ブリューゲル『バベルの塔』(1563年)、左『子供の遊戯』(1560年)、その左『『謝肉祭と四旬節の喧嘩』(The Fight Between Carnival and Lent)、『バベルの塔』の右『ゴルゴタの丘への行進』。カメラ南南東方向部屋角左『農民の踊り』(1568年)、その左『農家の婚礼』(1568年)、更にその左『農夫と鳥の巣取り(The Peasant and the Nest Robber)』。カメラ北北東部屋角右『雪中の狩人』、その右『暗い日(The Gloomy Day)』、角左『牛群の帰り(The Return of the Herd)』。
『バベルの塔』(1563年)
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『子供の遊戯』(1560年)
[描かれている子供は、幼児から若者まで幅があり、後述のように様々な遊戯が細かく描き込まれている。およそ80種類の遊戯を認めることができる。ただ、画家の意図は、単に子供の遊戯を百科事典的に寄せ集めて示すことではなく、遊戯に打ち込む子供の真剣さと、一見それよりも重要な仕事に注ぐ大人の真剣さとを同列に並べることにあったと考えられる。神の目から見れば、子供の遊戯も大人の仕事も重要さでは変わらないということである。逆にいえば、市役所とも思われる大きな建物が子供たちで占められていることは、市政を取り仕切っている大人たちが神の目から見れば子供同然だという暗喩とも考えられる。このような発想は当時の文学にも見られるもので、1530年に出版された匿名のフランドルの詩では、人類は馬鹿げた遊びに夢中になっている子供と同じだという表現がある。 (wikipedia・子供の遊戯より)]
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『謝肉祭と四旬節の喧嘩』
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『ゴルゴタの丘への行進』
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『農民の踊り』
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『農民の婚宴』
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『農夫と鳥の巣取り』
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『雪中の狩人』
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『暗い日』
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『牛群の帰り』
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