コペルニクス博物館

マーカーはコペルニクス博物館です。

コペルニクス博物館
[トルン地動説を唱えた天文学者コペルニクス(1473 – 1543)の生まれ故郷としても有名です。
コペルニクスの名は、ポーランド語ではミコワイ・コペルニクMikołaj Kopernikといい、中世の時代の典型的な商家である生家は博物館として保存されており、いつも観光客でにぎわっています。銅を商う裕福な家に生まれたコペルニクスは、幼くして両親と死別。司祭をしていた親類に育てられ、1491年にクラクフのヤギェロン大学に入学しました。そこで彼は初めて天文学に出合いました。
コペルニクスの生家(コペルニクス博物館)Dom Mikołaja Kopernika
月曜日を除く10:00 – 16:00 所在地 ul. Kopernika 15/17
入場料 大人10 zł 小人・学生7 zł
・コペルニクスが使っていた道具類を展示   (「トルン – メトロガイド」より)]

[コペルニクスの生家で、現在はミュージアムとして生前使っていた道具などが展示されています。
入場料は@10PLN
写真(カメラ)はフラッシュ無しで@6PLN
住んでいた部屋の様子も再現されて展示されています。  (「コペルニクス生家 Nicolaus Copernicus House (Dom Mikołaja …」より)]

[コペルニクスは、1473年にトルンで生まれた。生家は旧市街広場の一角にある。トルンは1772年のポーランド分割によってプロイセン王国領となり、現在はポーランドの一部に復帰している。ナチス時代にはドイツ人かポーランド人かで論争がおこなわれたが、現在ではドイツ系ポーランド人と思われている。
10歳の時、銅を商う裕福な商売人だった父親が亡くなり、母親のバルバラ・ヴァッツェンローデ (Barbara Watzenrode) は既に亡くなっていた。そのため、母方の叔父であるルーカス・ヴァッツェンローデ (Lucas Watzenrode) が父の死後、コペルニクスと兄弟を育てた。ルーカスは当時教会の律修司祭(カノン)であり、後にヴァルミア (Warmia) の領主司教となった。
1491年にコペルニクスはクラクフ大学に入学し、月の精密な軌道計算を史上はじめて行った著名な天文学者で従来より定説とされていた天動説に懐疑的な見解を持っていたアルベルト・ブルゼフスキ教授によってはじめて天文学に触れた。
自己の地動説の発表による影響を恐れたコペルニクスは、主著『天体の回転について』の販売を1543年に死期を迎えるまで許さなかった(彼自身は死去時に本が出版され、完成した書物を見ることなく逝ったと言われている)。
コペルニクスの生家・wikipedia-photo  (wikipedia・ニコラウス・コペルニクスより)]

カメラ南南東方向がコペルニクス博物館です。

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