聖アポステル教会

マーカーは聖アポステル教会です。

聖アポステル教会
[ケルン旧市街にはロマネスク時代(ロマネスク建築)に建てられた12のロマネスク様式の教会が残っているうちの一つで、13世紀にできた後陣には両側を八角形の二つの塔で挟まれ、中央方形部の上には、明かり塔つきの八角形の丸屋根塔がそびえている。  (「ケルン」より)]

[旧市街の西、トラムの通るノイマルクト広場に面して、この壮麗な聖堂が建っている。身廊は三廊式で、交差部に八角塔が建っている。最大の特徴は、翼廊の突出部が半円形の祭室となっており、東の後陣と併せて三つの半円形が連なる形となっている。三つの半円形後陣のあることから「三つ葉型後陣 (Dreikonchenchor)」と呼ばれるケルンならではの構造である。身廊の天井は交差リブゴシックの様相を呈しているのだが、側廊の天井は半円横断アーチに交差穹窿(半球状の天井)というプリミティヴなものだった。身廊も後陣もトリビューン(階上廊)のある二層構造に見えるが上部は採光用の窓であり、小さなアーケードは装飾建築である。それでも、13世紀に再建されたとされる後陣部分は繁華街の中に在ってもなお、八角形の細い双塔を含め堂々たる佇まいとなっている。  (「ドイツ(北部)のロマネスク」より)]

[聖アポステル(Apostel・使徒)教会はローマカトリック教会で、ケルン市にある12の大きなロマネスク様式の教会の1つです。3身廊の教会は、ノイマルクト広場に面するの市内中心部にあります。それは、聖アポステル教会東側の塔が、統合され精巧に設計された3コーンシステム(Drei-Konchen-Chor)によって特徴付けられます。西側の塔は、67メートルの高さがあり、ケルンのロマネスク様式の教会で3番目に高い塔です。クローバー型のクワイヤの建物は、キューポラで飾られた短い八角形の交差塔に支配されています。身廊の廊下は、ヴォールトの丸天井によって西の塔に接続されています。ローマ教皇パウロ6世(在位:1963年 – 1978年)は1965年9月18日に、教会は、使徒的勧告(Apostolic exhortation)で小聖堂の階級を上げました。
現在の教会の建物は、ここでの最初の建物ではありません。 ケルンの他のロマネスク様式の教会と同様に、聖使徒は9世紀の終わり頃に現在の大聖堂の地に最初の教会を建てたと言われていますが、これは証明されていません。 確かなことは、10世紀に修道院がここに設立されたことです。歴史的に保護された最初の使徒教会は、おそらく比較的単純な建物でした。
それは11世紀の初めに変わりました:司教座聖堂の置かれたケルン一帯は、ケルン大司教に帰属する宗教領邦となっていました。999年から1021年を統治したヘリベルト(Heribert)大司教の下、またはその後ピルグリム(Pilgrim)大司教(治世1021-1036)の下で、大きなザーリアー朝(Salian)の新しい建物が建てられました。
12世紀後半に、聖使徒はその構造と方向の両方の点で変化しました。新しい西のクワイヤは、1150年頃に建設され、67 mの高さの西塔がその上に建てられました。新しい西の塔には、2つの半円形の階段塔が付いています。
およそ50年後、1200年頃、再び火事(1192)の後、ケルンで最も成熟した印象的な3コーンシステム(Drei-Konchen-Chor)であり、美術史全般の重要性を負っているコンポーネントの研究が始まり、改築されました。
1802年、フランスの時代(ナポレオン戦争)期間中、世俗化で使徒教会は廃止されました。司祭はまだ近くの使徒の修道院に住んでいましたが、教会は次第に荒廃し、1822年に老朽化のために警察によって閉鎖され、その後すぐに修復され、1871〜1891年に大規模な改修が行われました。
1942年から1944年までの戦争の荒廃の後、最初の間に合わせの復元が1957年に完了し、その後、1975年に完了した東部の慎重な復元が1961年に開始されました。 埋められていた西の地下聖堂は、1955年から1957年に復元されました。

聖アポステル教会断面図

聖アポステルン(東側)・wikipedia-photo、西塔・wikipedia-photo、身廊・wikipedia-photo]

St. Aposteln – Google Map 画像リンク」「Wochenmarkt – Google Map 画像リンク

カメラ北西方向が聖アポステル教会です。

カメラ初期設定方向が聖アポステル教会後陣です。

聖アポステル教会身廊のカメラです。

聖アポステル教会祭壇前のカメラです。

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