チリハウス

マーカーはチリハウスです。

チリハウス(Chilehaus)
[チリハウス(Chilehaus)は東側の角が船首のような形をしたユニークな建物である。北ドイツ表現主義建築を代表する建築家フリッツ・ヘーガー(Johann Friedrich Höger)の設計により1922~1924年に建てられた。「チリハウス」の名はチリ硝石の輸入により財をなした海運王が建築主であったことに由来している。チリハウスはKontorhausと呼ばれる建築の一種で,このような建築は19世紀末頃から北ドイツの港湾都市を中心に見られるようになった。巨大な建物にいくつもの商社が入る,いわばオフィスビルである。かつて商人屋敷と倉庫は同一の建物内にあったが,貿易量が増え港湾が拡大したことで,倉庫は港の近くの倉庫街,事務所はKontorhausに切り離されるようになった。  (「【ハンブルクの建物】チリハウス Chilehaus」より)]

[ドイツの表現主義建築は、いくつかの傾向に分けることができ、その一つに、北ドイツの伝統的な建材であるレンガを使った造形があった。そうしたレンガを駆使した表現主義建築をよく体現しているのが、フリッツ・ヘーガーの代表作、チリハウス(Chilehaus) である。1922年着工、1924年4月竣工。面積5,950 m2、延べ床面積36,000 m2。10階建てで、中はテナントが自由に利用しやすいように、垂直の動線を中央に集め、仕切り壁などは設けなかった。チリハウスの名は、チリ硝石の取り扱いで財を築いたハンブルクの富豪ヘンリー・ブラレンス・スローマン(Henry Brarens Sloman)に由来する。
チリハウスが建っているのは2つの街路に挟まれた2区画である(Burchardplatz 1-2番地)。一帯に元々あった建物群は、1892年のコレラ流行の後に取り壊された。市は新たに商館を建てることに決めたが、その用地を競売で取得したのがスローマンであった。スローマンは当初、知人の会社経営者を通じて建築家を選定する予定だったが、そこに自ら売り込みをかけたのがヘーガーであり、その提案をスローマンが受け入れて依頼することとなった。
2区画の間には道路が通っているため、当初の建築案では二棟に分かれるデザインだったが、反対した地元議員をヘーガーが説得し、道路をまたぐ一体的な建物へと変更した。それにより、200メートルにわたる長大なファサードが実現したのである。
チリハウスもコンクリート構造の建物ではあるが、外装材にはレンガ(クリンカー煉瓦)が用いられた。ヘーガーは自然や風土と一体化する建築を目指し、それを体現するものとしてレンガを評価し、「建築の宝石」と称えていた。他方で、当時広まりつつあったインターナショナル・スタイルには強い嫌悪感を表明していた。チリハウスにおけるレンガは構造の重量を支える必要が無い分、ヘーガーは自由なデザインでもって貼り付けていった。その数は実に480万個にもなるという。
チリハウスといえば、その東端の鋭いファサードに特色があるが、元々の設計には存在していなかった。その形は、ヘーガーが途中で計画を変更して追加し、スローマンとの議論を経て確定したものである。それはしばしば船の舳先にも例えられるが、そのダイナミックさは他の表現主義建築にも先例がなく、ハンブルクにとどまらずベルリンの表現主義建築にまで影響を与えたとされる。カール・ヴェルマン(Karl Woermann)は、チリハウスについて「新しい造形の規範を大きな商館建築のために見いだした」と評価したが、それにとどまらず、文学界でもルドルフ・G・ビンディング(Rudolf G. Binding)が激賞するなど、広範な反響を引き起こした。
チリハウス・wikipedia-photo、「上空から見たチリハウス。中庭を横一文字に区切る建物の下に道路があり、当初はそこで二分される予定だった。」・wikipedia-photo、チリハウスの東端・wikipedia-photo、チリハウス南面・wikipedia-photo、壁面のカーブ・wikipedia-photo、チリハウスの煉瓦模様・wikipedia-photo  (wikipedia・ハンブルクの倉庫街とチリハウスを含む商館街より)]

Chile House – Google Map 画像リンク

カメラ初期設定方向がチリハウスです。

カメラ南方向が道路Fischertwieteでチリハウス中庭があります。

チリハウス中庭のカメラです。

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