ブレーメン美術館

マーカーはブレーメン美術館です。

[グーグル・アート・プロジェクトは、グーグル社のストリートビュー技術をそのまま美術館内部にまで持ち込み隅々まで撮影し、web上で公開しています。]

ブレーメン美術館(英語:Kunsthalle Bremen、ドイツ語:Kunsthalle Bremen)
[マルクト広場から数分のところ、バル・アンラーゲ(市防御壁跡)に150年以上前から国際レベルの美術館クンストハレがあります。中世から現代までのヨーロッパ絵画を大量に所蔵し、また16世紀から20世紀の彫刻のコレクションもあります。アルブレヒト・デューラーからパイク、昔の巨匠の作品、フランスドイツ印象派、クラシック・モダンからメディア・アートまで、印象的に展示されています。20万枚のデッサンと版画のある銅版画の展示室はこの分野では非常に優れたものです。有名な作家や、現代アートなどの特別展示が博物館をさらに魅力的にしています。毎週月曜日休館。  (「観光の国ドイツ – 市 – ブレーメン Bremen – 博物館・美術館」より)]

[ブレーメン美術館は、ドイツ・ブレーメンにある美術館(クンストハレ)。
1849年に開館し、1902年に拡張され、その後何度かの拡張を経て、2011年に大拡張が行われた。1977年以降、ドイツの建造物遺産に指定されている。
14世紀から現代までのヨーロッパ絵画、16世紀から現代までの彫刻、ニュー・メディア作品を収蔵する。特に、19世紀から20世紀にかけてのフランス・ドイツ絵画が充実しており、クロード・モネエドゥアール・マネポール・セザンヌロヴィス・コリントマックス・リーバーマンマックス・ベックマンパウラ・モーダーゾーン=ベッカーなどの作品を有する。ニューメディアでは、ジョン・ケージ、オットー・ピエネ(Otto Piene)、ピーター・キャンパス(Peter Campus)、オラファー・エリアソンナム・ジュン・パイクなどがある。版画・素描としては、15世紀から20世紀にかけての作品22万店を収蔵し、ヨーロッパ最大級のコレクションとなっている。
運営は、非営利のブレーメン芸術協会 (Kunstverein Bremen) であり、14世紀から21世紀までの広範なコレクションを有する美術館としては、民営を維持しているのはドイツでここだけである。
歴史
芸術協会の発足
1823年、ブレーメンで、34人の実業家が、美的感覚の普及を掲げて、芸術協会を発足させた。こうした芸術協会としては、ドイツでは最も古いものに属する。当初は、参加者限定の美術展覧会を行っており、入場券の売上げや寄付をもとに作品の取得を進めた。発足10年後の時点で、油彩画13点、素描585点、版画3917点を有していた。油彩画の多くはオールド・マスターによるもので、マソリーノの有名な『マドンナ』のほか、ヤン・ファン・ホーイェンやピーテル・ワウウェルマン(Pieter Wouwerman)といった17世紀ドイツの画家の一連の作品が含まれていた。
ブレーメン芸術協会は、現在に至るまでブレーメン美術館の単独所有者であり、現在8000人以上の会員を擁する。資金は、基金、寄付、遺贈、ブレーメン市からの補助金でまかなわれている。
開館(1849年)
芸術協会では、コレクションを展示するための美術館の建設を計画し、コンペティションの結果、若手建築家ルーダー・ルーテンバーグ(Lueder Rutenberg)が選ばれた。旧市街の近くのもとゴミ集積場だった土地に、1847年に着工し、1849年完成した。中央にアーチのある2階建ての建物であった。コレクションの大半は芸術協会の所有であったが、建物は市の所有であった。入口には、彫刻家アドルフ・シュタインハウザー(Adolph Steinhäuser)が制作した、ラファエロ・サンティミケランジェロ・ブオナローティアルブレヒト・デューラーピーテル・パウル・ルーベンスという4巨匠の石像が立てられた。
1902年の拡張
拡張の必要が高まり、1898年、コンペティションの結果、建築家アルバート・ダンケル(Albert Dunkel)が内装に、エデュアルド・ギルデマイスター(Eduard Gildemeister)がファサードに選ばれた。装飾は著名な彫刻家ジョージ・レーマー(Georg Roemer)とゲオルグ・ルバ(Georg Wrba)が選ばれた。1899年に着工し、1902年2月15日に完成式典が開かれた。ファサードは1904年まで工事が続いた。資金は、基金とブレーメンの実業家から拠出された。
第2次世界大戦による被害
美術館は、第2次世界大戦の勃発後間もなく閉鎖され、コレクションは地下室に運ばれた。1942年9月5日の夜、空襲で中央階段と2階の6室が破壊された。この時、大きさの都合上運ぶことができなかったエマヌエル・ロイツェの『デラウェア川を渡るワシントン』が焼失した。今日、同作品の第2バージョンがニューヨークメトロポリタン美術館に展示されている。
この被害があってから、コレクションの大半は、ブレーメン州立銀行と北ドイツ信用銀行の地下の防護エリアに運び込まれた。空襲の激化に伴い、市長は、コレクションを市外の安全な場所に保管することを決定した。
保管場所の一つKarnzow城は、ベルリンに近いブランデンブルク辺境伯領にあり、絵画50点、素描1715点、版画3000点を保管した。この城は1945年5月、ソ連軍によって接収され、その撤収時に略奪された。また、ソ連軍は保管場所を開放したまま立ち去ったため、一般人が立ち入ることができる状態となってしまった。ベルリン市評議会長Kurt Reuttiは、懸命の捜索とブラック・マーケットからの買戻しによって、何点かを取り戻すことに成功した。それでも、ブレーメン美術館の損失は、プロイセン文化遺産基金とドレスデン美術コレクションの損失と並んで、ドイツの美術館の戦時被害の中で最大級のものであった。ブレーメン美術館収蔵作品のうち1500点以上が現在でも行方不明である。
2011年の改修後の美術館・wikipedia-photo  (wikipedia・ブレーメン美術館より)]

ブレーメン美術館ホームページ

Kunsthalle Bremen – Google Map 画像リンク

カメラ初期設定方向がブレーメン美術館です。

ブレーメン美術館0.5階25室 – パウラ・モーダーゾーン=ベッカー作『リンゴとバナナのある静物』(1905年)(wikipedia-photo)

1階6室 – ウジェーヌ・ドラクロワ作『Ferdinand Victor Delacroix 023』(約1860年)(wikipedia-photo)

1階9室 – エヴァ・ゴンザレス作『目覚め(Morning Awakening)』(1876年)(wikipedia-photo)

1階9室 – カミーユ・ピサロ作『Soleil de mars』(1875年)(wikipedia-photo)

1階16室 – アントニオ・カノーヴァ作『Psyche』(1793 – 1794年)(Google Arts & Culture)

1階19室 – カール・ヨハン・シュタインハウザー(Carl Johann Steinhauser)作『Psyche』(1846)(Google Arts & Culture)

1階30室 – マックス・リーバーマン作『The Papageienallee』(1902年)(wikipedia-photo)

1階30室 – フリッツ・フォン・ウーデ作『Two Girls』(1909年)(Google Arts & Culture)

フィンセント・ファン・ゴッホ作『ヒナゲシのある野原』(1889年6月初旬)(wikipedia-photo)

[1889年5月8日、ファン・ゴッホは、サル牧師に伴われ、アルルから20キロ余り北東にあるサン=レミのサン=ポール=ド=モーゾール修道院(Monastère Saint-Paul-de-Mausole)療養所に入所した。病院長テオフィル・ペロンは、その翌日、「これまでの経過全体の帰結として、ヴァン・ゴーグ氏は相当長い間隔を置いたてんかん発作を起こしやすい、と私は推定する。」と記録している。
ファン・ゴッホは、療養所の一室を画室として使う許可を得て、療養所の庭でイチハツの群生やアイリスを描いた。また、病室の鉄格子の窓の下の麦畑や、アルピーユ山脈の山裾の斜面を描いた。6月に入ると、病室の外に出てオリーブ畑や糸杉を描くようになった。同じ6月、アルピーユの山並みの上に輝く星々と三日月に、S字状にうねる雲を描いた『星月夜』を制作した。  (wikipedia・フィンセント・ファン・ゴッホ#サン=レミ(1889年5月-1890年5月)より)]

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