マルクト広場

マーカーはマルクト広場です。

マルクト広場
[1260年に都市ハンザが形成され、1358年にハンザ同盟に加盟した。加盟当初は力のない同盟都市に過ぎなかったが、これ以後急速に経済力、政治力をつけ、ブレーメン大司教の世俗支配をはねのけるまでに成長した。その自由な気風の象徴としてローラント像(1404年)や市庁舎(1409年)がマルクト広場沿いに建設された。
「ブレーメンのマルクト広場。画面向かって左から市庁舎、聖ペトリ大聖堂、ビュルガーシャフト(議事堂)」・wikipedia-photo、ローラント像・wikipedia-photo  (wikipedia・ブレーメン歴史より)]

ローラント像
[マルクト広場に立つローラント像は、中世文学『ローランの歌』に登場する英雄ローラントを象った巨大な立像である。ブレーメン市内には4体のローラント像があるが、ブレーメン大聖堂に面してマルクト広場中央に立っている像が最もよく知られている。像そのものは60cmの演壇の上に立っている高さ5.47mの立像だが、支柱に支えられた天蓋の高さは10.21mである。1404年に立てられたこの像は、ブレーメンの自治都市としての尊厳を象徴するもので、当初は木像だったが、ブレーメン大司教の手によって放火され消失した後、石造で再建された。ブレーメンの象徴とされたこの像は度々倒壊の危機に見舞われたが、その度に市民の手によって守られ続けた。第二次世界大戦時には、市民の手によって築かれた煉瓦製のシェルターによって保護されていたほどである。言い伝えでは、この像がブレーメンを見守り続ける限り、その自由と独立は守られるとされてきた。このため、市庁舎の地下には、オリジナルが倒壊したときのために第二のローラント像が秘匿されているなどと、まことしやかに語られることがある。ローラント像・wikipedia-photo  (wikipedia・ブレーメンのマルクト広場の市庁舎とローラント像より)]

ブレーメンの音楽隊
[ブレーメンの音楽隊とあるが、動物たちは実際にはブレーメンには行っていない(たどり着いていない)。しかしながら表題の影響もあり、ブレーメン旧市街の市庁舎横の左横には、音楽隊の2mほどの高さのブロンズ像(ロバ、イヌ、ネコ、ニワトリ)が立てられ、自分たちの街に因む物語として広く受け入れられている。これはゲルハルト・マルクスにより、1953年に製作されたものである。これと似たものが、ブレーメンの姉妹都市であるリガラトビア共和国)にも建てられている。世間では、この銅像のロバの前足を撫でながら願い事をすると、願いがかなうと信じられている。銅像のその部分は、多くの人が触れるため光り輝いている。この銅像は、同じ広場に面して立っているローラントの像と並んで、ブレーメンの町の象徴のようになっている。
「ブレーメン市庁舎横の音楽隊の像。下からロバ、イヌ、ネコ、ニワトリ」・wikipedia-photo  (wikipedia・ブレーメンの音楽隊より)]

カメラ位置はマルクト広場で、カメラ方向・市庁舎前ローラント像があります。

ローラント像前面のカメラです。

「小」フライマルクト開催中のマルクト広場です。

クリスマスマーケット開催中のマルクト広場です。

ブレーメンの音楽隊像前のカメラです。

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