ドイツ抵抗記念館

マーカーはドイツ抵抗記念館です。

ドイツ抵抗記念館
[ベンドラーブロックと呼ばれるこの場所には、かつてドイツ陸軍最高司令部があった。1944年7月20日、クラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐は、東プロイセンの総統本営でヒトラー暗殺を試みたが、あと一歩というところで失敗に終わり、翌日未明、同士と共にこの場所で銃殺された。
あれから70年が経った日、現在はドイツ連邦国防軍の敷地であるこの中庭で、ドイツ連邦政府による追悼式典が行われた。抵抗運動に携わった人々は、今でこそ「自らの良心に従った勇気ある者」とドイツの国内外で称えられているが、ガウク大統領(在任:2012年 – 2017年)は演説の中で、「1950年代当時、シュタウフェンベルクとその同士は『国への裏切り者』として家族に中傷が及ぶこともあった」と、彼らの名誉回復に至るまでの長い道のりについても言及した。また、東ドイツの反体制派の牧師だったガウク氏らしく、東独ではもっぱら共産主義の抵抗運動にのみ焦点が当たっていた「偏り」にも触れた。この節目の年、ベンドラーブロックに面したドイツ抵抗運動記念館の展示内容が一新された。
ドイツ抵抗運動記念館(Gedenkstätte Deutscher Widerstand)
1952年、ヒトラー暗殺計画に携わったフリードリヒ・オルブリヒト大佐の未亡人が同席して、記念碑の定礎式が行われた。89年に現在の場所に記念館がオープンして以来、今回が3度目のリニューアルとなる。多くの部屋には、オリジナルの資料のコピーが用意され、1部10セントで入手できる。パネル説明は独英表記。入場無料。
開館:月〜水、金9:00〜18:00、木9:00〜20:00、
土日祝10:00〜18:00
住所:Stauffenbergstr. 13-14, 10785 Berlin
電話番号:030-26995000
URL:www.gdw-berlin.de  (「シュタウフェンベルクと抵抗運動の人びと – ドイツ生活情報満載!ドイツ …」より)]

[この記念碑は、事件の舞台となった軍総司令部跡に設けられた「ドイツ抵抗記念館』の中庭に立っている。正面に面する通りは中心人物を記念して「シュタウフェン通」と名づけられた。
 戦後いち早く追悼されたナチ犠牲者はユダヤ人や共産主義者などの反ナチ抵抗-犠牲者ではなく、ドイツ愛国者たる保守的な反ナチ抵抗主義者であった。手を縛られた裸の青年像は抵抗者としてよりも、受苦者としての犠牲者像を表現している。
 碑文「恥じることなどあろうか/君たちは抵抗した/君たちは目覚めさせようと偉大なる合図を送った/改心の合図を/君たちの熱き生を犠牲にして/自由と権利と名誉のために闘えと」
ドイツ抵抗記念館年表
52年 – 記念館の地鎮祭
53年 – 中庭に「記念庭」設立
55年 – シュタウフェンベルク通りの改名祝賀
60年 – 記念版の序幕
67年 – ベルリン市が「シュタウフェンベルク通り記念-教育施設」の設置を決定
68年 – 常設「反ナチズム抵抗展」が開始
80年 – 「記念庭」の改造
83年 – ベルリン市長が「ドイツ抵抗記念館」への改造依頼
86年 – 「ドイツ抵抗記念館」展の一部開催
89年 – 「ドイツ人抵抗記念館」展の全面開催  (「ドイツ抵抗記念館 – Biglobe」より)]

[中庭の壁には、ヒトラー暗殺に加わって、まさにこの場で射殺されたシュタウフェンベルクら5名の英雄を称える記念碑と追悼の花輪があります。
(追記:5人全員がこの場で亡くなった訳ではありません)
記念碑には、
「1944年7月20日、ドイツのためにここに死す」
ルートビッヒ・ベック上級大将、フリードリヒ・オルブリヒト歩兵大将、クラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐、アルブレヒト・クヴィルンハイム大佐、ヴェルナー・フォン・ヘフテン中将  (「『2010 初夏 No.26 ワルキューレを訪ねて ドイツ抵抗記念館 』 [ベルリン]」より)]

ドイツ抵抗記念館 – Google Map 画像リンク

カメラ位置はシュタウフェンベルク通り(「ドイツ抵抗記念館』の中庭)で、カメラ西北西方向に手を縛られた裸の青年像が、カメラ南西方向壁にシュタウフェンベルクら5名の英雄を称える記念碑が設置されています。