ノイエ・ヴァッヘ

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ノイエ・ヴァッヘ
[ノイエ・ヴァッヘ(Neue Wache)とはドイツの首都ベルリンの目抜き通りウンター・デン・リンデン街に建てられた石造建築である。「新衛兵所」、あるいは「新哨舎」と訳される。1816年にプロイセンフリードリヒ・ヴィルヘルム3世が建築家カール・フリードリッヒ・シンケルに衛兵所として設計させた。1993年来、この建物はドイツ連邦共和国政府の中央追悼施設として「国民哀悼の日」の式典会場になっている。建物はドーリア式の柱廊玄関 (ポルチコ) を有する。シンケルは、「この建物は比較的広い敷地に立ち、四方からの視線にさらされている。これは植民地に設けられた古代ローマの兵営 (カストルム) を彷彿させるもので、四隅に堅牢な塔を立て中庭を設けた」と述べている。柱廊玄関の上部の切妻(ペディメント)の彫像は、ナポレオン戦争勝利を顕彰することを意図していた。彫像の中には勝利の女神ニケの姿も見える。衛兵所の背後にはシンケルによってトチノキ(カスターニェン)の林苑が作られた。フリードリヒ・ヴィルヘルム3世は、ノイエ・ヴァッヘの見える王宮から衛兵交代式を楽しんだという。
第二次世界大戦後、ウンター・デン・リンデン街を含む東ベルリンは、ソ連軍占領地区となり、1949年以降はドイツ民主共和国の一部となった。1960年、ノイエ・ヴァッヘは「ファシズム軍国主義の犠牲者のための追悼所」として再開された。1969年、東ドイツ建国20年を記念し、永遠の火をともしたガラスのプリズムによる彫刻が中央に設置された。また建物内には無名のドイツ兵一人と無名の強制収容所犠牲者一人の遺骨が祀られた。東ドイツの国家人民軍の衛兵が立ち、戦前と同様に毎水曜日に衛兵交代式が行われた。ドイツ再統一後の1993年にドイツ連邦政府は11月の第3日曜日を「国民哀悼の日」と定め、戦没者を追悼、遺族に対する連帯を示す日として、ノイエ・ヴァッヘを「戦争と暴力支配の犠牲者のための国立中央追悼施設」に改装した。改装なったノイエ・ヴァッヘには彫刻家ケーテ・コルヴィッツ第一次世界大戦で死んだ息子ペーターをイメージして作った1937年の作品「ピエタ(死んだ息子を抱き抱える母親)』の拡大レプリカが置かれている。この彫刻は円形の天窓の下にあり、雨風や冬の寒さにさらされ、第二次世界大戦で苦しんだ一般人を象徴しているという。
正面から見たノイエ・ヴァッヘ・wikipedia-photo、ノイエ・ヴァッヘに入る人々(2006年)・wikipedia-photo、「ノイエ・ヴァッヘの内部、天窓とケーテ・コルヴィッツの「ピエタ」が見える」・wikipedia-photo、ピエタを外から見る人々・wikipedia-photo、「1900年頃のノイエ・ヴァッヘの前にはプロイセンの将軍シャルンホルスト(右奥)とビューロウの立像(左手前)が建てられていた。台座はシンケルが設計したものである。」・wikipedia-photo、「1933年、当時の国民哀悼の日にノイエ・ヴァッヘを訪れたヒンデンブルク大統領ヒトラー首相」・wikipedia-photo、「1938年、ナチス時代のノイエ・ヴァッヘ。軍隊の行進が行われる」・wikipedia-photo、「1979年、東ドイツ時代のノイエ・ヴァッヘ。プリズム型の記念碑が置かれる」・wikipedia-photo、「東ベルリン名物のノイエ・ヴァッヘ前の国家人民軍の衛兵(1989年)」・wikipedia-photo  (wikipedia・ノイエ・ヴァッヘより)]

カメラ北方向がノイエ・ヴァッヘです。

ノイエ・ヴァッヘ内のカメラです。

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